猪里は、現文の課題はとっくに済ませた。
読書感想文なんて簡単だ。だいたいいつも良い評価を貰っている。
しかし、今、部屋にいるクラスメイトはそうではないらしく、
先程から、
「Doーやって書きゃEーんだYo。こんなの中学で終わりだと思ってたのにYo」
と頭を抱えている。










甘い棘

虎猪におけるお料理考察 その6 八朔編









晩御飯を食べ終え、片付けも終わらせ、
風呂にも入った。
いつもなら、楽しい二人の時間。
虎鉄が言うところのいちゃいちゃタイムである筈なのに、
明日提出期限の課題が、それも大の苦手分野が終わってないと言う。
「ざーっと読んで、感じたことを書きゃよかったい」
「読まなきゃだMe ?」
「ひょっとして、読んでなかとか?」
「1ページも読んでねぇYo?」
「詰んどるやん」
「……Na、この字なんて読むんDa?なんて意味?」
「(憚る)はばかる」
「……便所?」
どうも初っ端から躓いているらしい。
「猪里、助けてYo」
小さな炬燵テーブルの斜向いからの声は悲壮である。
それもそうだろう、友人のを写させてもらうことなど出来ない課題だ。
「自分でやらんば為にならんやん」
「英語手伝ってやったじゃねーKa」
「……」
確かにそうだった。
「しょんなかね……俺が書いちゃるけん、写しぃ」
「ほんとかYo!やっTaー!」
「これ、提出明日までやなかった?」
「そーだYo」

たった800字。されど800字だ。
同じ感想を書くわけにはいかない。
真っ白な原稿用紙を前に、眉間に皺が寄ってしまう。
いかにも虎鉄が並べそうな語句を使って……
安請け合いしたものの、とてつもなく難しい気がしてきた。

「オレ、ちょいセブン行ってくるかRa、チャリの鍵貸しTe」
「……逃げる気ね?」
「邪魔しそうだShi、コーラ飲みたい」
「俺、大家さんにもろーた八朔食べたか」
「……はっさく?」
「大家さんが友達のぶんもって、大きいとば五つもくれしゃったとよ」
「オレは遠慮したいっつーKa」
「食後のデザート欲しいっちゃん」
「アイス買ってくるYo」
「八朔がよか」
猪里はちらと虎鉄を伺う。
「お前が剥いてくれたら、食べられるとに」
「わかったYo」
虎鉄にとって気が進まない作業ではあるが、
課題を押し付けた後ろめたさもあって、立ち上がりかけた腰を下ろした。

「ほれ、ムッ○ーちゃんのあるけん楽勝やろ?」
猪里は台所から八朔五つと、何やら小さな道具を持ってきた。
「なにコレ?」
「前にな、実家から送ってきたとよ」
「どうやんNo?」
「八朔は皮が固いけん、こうやって……」
一つ目の小さな刃を突きたて、十字にくるりと回す。
外皮と白いわたを適当に取り除き、袋にばらしていく。
「あとは、こうすれば……」
本体に潜んでいる二つ目のこれまた小さな刃を袋に滑らし、
薄皮を剥くと、山吹色した瑞々しい果肉が現れた。
「Hooー」
「な?」

こうして、八朔は虎鉄に委ねられた。
猪里は感想を書くべく、原稿用紙に向かう。
課題図書をぱらぱら捲り、シャープペンシルをかちかちと意味もなくノックする。
……どう書けば良いのやら。

虎鉄の手元を伺うと、早くも剥かれた八朔の山が出来つつあった。
手を伸ばして口に運ぶ。
「うまかぁ!」
「おいしくないだRo……すっぱいだRo?」
「ちょびっと苦ぅて、それがまた良か。この美味しさがわからんとは……」
「悪かったNa。わからなくTe」
虎鉄が一つ剥き終わると、猪里は次に取りかかれとばかりに二つ目を寄越してきた。
「はい、次」
「まだ食うのかYo」

虎鉄がいるにしては珍しく、部屋には静寂が満ちる。

「ふふ」
「なんだYo」
「お前、剥くのうまかね」
「早く終わらせたいんだYo……剥いてるだけなのに、なんか口の中酸っぱくなってくんだYo」
「で、なして正座?」
「N?なんとなく?」
正座してちまちま八朔を剥いていく虎鉄におかしくなってしまう。
「お前、嫁ごたるばい」
「え?猪里の?貰ってくれんNo?」
「良かよ、貰っちゃー」
作業から顔を上げ瞳を煌めかせる虎鉄に、つい調子に乗ってしまう。
「マジDe?!」
「畑もちかっぱ頑張っとうし、良か嫁になるやろなあ」
「猪里がプロポーズしてくれるなんTe、夢みTeぇ!」
「おかずの味付け甘過ぎる時のあるけん、それ直してくれたら言うことないっちゃん」
「HaHa、気をつけまSu……ハイ、アナタ、あーーん」
八朔の一欠片を猪里の口に近づけてみると、ぱくっと食い付いた。
「アナタ、美味Cー?」
「うん、うまか。お前も食べんしゃい」
つまみ上げ、ひらひらと虎鉄の口元に泳がす。
「ご、ごめんなSaい。嫌いなんでSu」
顔を背け、口を固く結んで開こうとしない。
「食べ物の好き嫌いはいかんよ?」
拒絶されたそれを自分の口に放り込み、さも残念そうな顔を作る。
「アナタだって、タコだめじゃないですKa」
「タコは、あれ、食べもんやないけんね」
「れっきとした食べ物ですYo!」
「違うけん」
「好き嫌い言っちゃダメなんですよNe?ダーリン?」
「減らず口叩きよる、生意気な嫁たいね」
「……N?なんかおかしくNe?」
「なにが?」
「どっちかってーTo、猪里が嫁だRo?」
「なして?」
「カワEーから」
虎鉄の頭の中には「おかえり」と笑顔で出迎えてくれるエプロン姿の猪里が浮かび、
ほわほわと幸せな気分になる。
「は?かわいいほうが嫁とか、誰が決めたとね?」
「……オレ?」
「お前の理屈げな知らんけん」
「ベッドじゃ猪里が下じゃねーka」
「そげなん、これからどうにでも」
「Hai?」
「どうにでもなるやろーもん。そうやろ?」
「なにソレ、待っTe」

虎鉄が剥いた八朔はすでに山盛りで、
その中からまた一つを摘み上げ、猪里は閃いた。

「ビタミンCも摂らな。お前だけの体やないんやけん」
「そりゃ、オレのカラダは猪里のモノだけDo?」
「そーいう意味やなか。クリーンナップなんやけん、しかっと体の管理せな」
「なーんDa。そっちかYo」
「やけん、な?」
「……?」
斜向いの含みある表情と摘み上げた一欠片とを交互に見て、嫌な予感がしてきた。
「……おい?」
予感は的中らしく、猪里はにじり寄ってきた。
虎鉄は正座のままじりじりと間合いをとる。
「なして、逃げるとよ?」
口を開けば、ねじ込まれる……阻止しなければ。
寝技に持ち込まれても、口を開けなければ大丈夫だ。
しかし前に鼻をつままれみかんを押し込まれたことが……あった……!
虎鉄は慌てて、口と鼻を両手で覆った。
「往生際の悪かヤツたい」
更に間合いを詰められ、
虎鉄は焦りから尻餅、後ろに手をついてしまった。
「ちょっ、猪里ッ?」
背がタンスに当たり、退路は断たれた。
「ヤメろっTe!」
既に猪里の目が、目の前にある。
更には、それを八朔を口に含むのを見て、混乱する。
「……!」
いきなり両耳を覆われる。
「待ッTaッ!」
半端ない力で頭を固定され、
無情にもずいと顔が近づいて、口が合わさる。
「……う、ぐ」
いつも夢心地にさせてくれる柔らかな唇は、今日は甘くはなかった。
そこから押し出された酸味の塊が口の中にある所為で。
「よーう味わいんしゃい」
離れていく口が宣った。
「SHIT……!」
涙目で咀嚼して飲み込んだ。

「酸っPaい!」
「あははは!」
「なんてヒデェ嫁だYo!」
「嫁やないけん!ははは!」
「キスはうれCーけど、酸っPaい!」
「キスやなか。ただの口移したい」
「今度、たこの刺身買ってくるからNa!く・ち・う・つ・し!してやるからNa!」
「想像しただけで、吐きそうやけんやめり」
「DoーしてくれんだYo!まだ口に酸っぱいの残ってるじゃねーKa!」
「しゃーしい奴たいね」
「お前のせいだろーGa!」

猪里はまた台所に立ち、色とりどりの砂糖菓子を持ってきた。
「ほら、金平糖やるけん」
「金平糖?」
「これも大家さんにもろーたと。京都のお土産なんげな」
袋を開けて、小さな青い星のような一粒を取り出し、
虎鉄の口元に差し出した。

「口移しでDe」
「……は?」
「た・だ・の・口移しなんだRo?」
フッと片笑む煽るような顔つきに、猪里は心乱される。
「あ、課題やらんば」
「逃げる気かYo」
「……」

猪里はやや不服そうに上目で虎鉄を見て、
観念したように、その一粒を舌先に載せた。
「ん」
さあ持っていけとばかりに、突き出している。
空色の一粒は、ふっくらとした薄赤い舌の上で所在無さげだ。
「誘ってんNo?」
金平糖を載せたままでは喋れない。
猪里はゆっくり頭を振る。
しかし、艶のある表情は隠しきれていない。
「やっぱ、誘ってんじゃねーKa」
誘う舌に自分の舌を絡ませ、
小さな棘を掠め取った。
「甘いNa」
「砂糖の塊やけん」
「そんで、ちっさい。もうなくなっTa」
猪里の目線が泳いで、金平糖の袋に行き着く。
次のキスが欲しいのは、お互いだろうと虎鉄は踏む。

「こんな回りくどいコトしなくてMo、」
腕を掴んで、ぐいと引き寄せた。
「……しゃーしい」
棘のある言葉とは裏腹に、体は素直に腕の中に収まった。
「オレはanytime、OKだZe?」

「お前……来るのひさしぶりやん?……やのに、課題終わらん言うし、」
肩あたりから届く声は、恥ずかし気で小さい。
顔は見えないけれど、耳が赤く染まっている。
「俺がやっちゃる言うたら、コンビニ行く言うし」
か細い声で甘えられて、堪らなくなる。
頭を撫でながらうっとりとシャンプーの香りを嗅いだ。
「なーんDa。いっしょに居てほしかったっTeコト?」
「……ん」
「猪里はホントわかりにくいNa……そこがまたカワEーんだけDo?」
「もう、しゃべんな」
「じゃ……次、チョーDaい?」
猪里は、摘んだそれを口の前にかざして、躊躇うことなく、
唇で押し込んできた。
「エロいNa。どこで覚えたんだYo」
「……お前しかおらんやろ」
二人の間を行きつ戻りつ、
小さな棘が、甘いキスを更に甘くしていく。
溶けてなくなると、
どちらからともなく次の一粒を求め、二つの舌で味わった。
「ヤベェ……はまりSo」
甘い棘を奪い合うように、舌を絡ませ合う。
下腹に流れ込む血が体を心を熱くしていく。
この激しい流れには抗えない。抗えた試しがない。
腕を這う指の力も強くなって、そっと倒した。

そして虎鉄は、悪戯を思いつく。
猪里のTシャツを捲りあげ、現れた薄桃色した二つの内の一つに、
同じような色をした棘を載せてみる。
「おい!」
「カワEー!」
「ばか虎鉄!もうやめり!」
やめろと言うわりには、胸から零れ落ちないように踏ん張っているのが、可愛くて。
「おねがい猪里、写メらせTe、ココ、どアップでいいかRa!」
「アホ!誰が乳首の写真やら撮らせるとね!」
「……ケチ」
不服を漏らしながら、吸い付く。
「……あ!」
棘を、敏感なその上で転がされて、
いつもと違う感触にぞくっとする。

「あッ、あぁ……」













「よりぬきお題さん。」