「一宮せんぱーい、飲んでますか?」

顔を上げると、
一年後輩の長戸が立っていた。
旅館の浴衣に、頭にはネクタイまで巻いている。

「お前……酔ってんのか?」
「そーですよー」

酔っているわけがない。フリをしているだけだ。
部活の合宿で訪れた旅館で、
風紀的にいい加減とは言え、監督もしっかり付いている。

「飲みましょー。あ、平泉先輩も!」
座卓の隣に無理やり座り込んだ。
平泉先輩もと言うわりには、彼にはまるで尻を向けている。









18.44m








しかしこの……出で立ちは……
「どうしたんだよ?そのネクタイは」
「あぁ、これは、あの猿から、」
満塁ホームラン打って、俺をマウンドから引きずり下ろした奴か。
「もぎとってやったんすよぉ」
ささやかな仕返しをしてやったと言いたげな顔をしている。
「なんで彼奴、ネクタイなんか持ってんだ?」
「ああ、旅館のフロントさん?から奪いとったらしいす」
「え?大丈夫なのか?」
「さあ?」
なんとも破天荒な一年坊だ。
それに便乗する長戸も長戸だとは思うが。

「お前、酔っぱらいの真似うまいな」
「はは、でしょ?」
酔っぱらいのフリをしながら、此奴なりに慰めてくれてるんだろう。
宴会に行きたくなくて客室で黄昏れていた俺を誘いに来たのも、長戸だ。

「まあまあ、課長、飲みましょーよ?ビールでいいすか?」
言いながら、俺のグラスに波々と烏龍茶を注いだ。
「誰が課長だよ」
「一宮先輩はぁ、大企業とか行きそうだから」
「お前がそう思ってるだけだろ」
「スーツとかネクタイすげえ似合いそうー。あのうすーい黒い靴下とかも」
「おっさんだって言いたいのかよ」
「ち・が・い・まーすぅー」
「うぜえ」
「褒めてるのに、ひでぇ……あ、官僚とかもありかな?」
「お前、俺のこと買い被り過ぎだよ」
「結べます?ネクタイ」
「出来るよ」
「すげえ。今度おしえて」
「今すればいいだろ、それで」
目線を上に、長戸の頭に流す。
「あ、ほんとだ」
頭からネクタイを取って、手渡してきた。
「先輩、中学どこだったすか?」
ネクタイを長戸の首にかける。
「〇〇中。この大剣を、」
「たいけん?」
「大きなつるぎ」
「え?いきなりかっこいいすね」
「小剣に、」
「今度は小剣……」
「上から巻き付けて……輪っかに上げて、」
「〇〇中、学ランじゃないっすか。なんでネクタイやり方知ってんすか?」
「親父に教わった」
「へぇぇ……」
「結び目に通して……小剣を引っ張る……ほらよ」
「おお」
「浴衣にネクタイじゃ、しまんねーな」
「そうっすね、ははは。
 あの猿、カッターシャツも盗ってくりゃ良かったのに」
「ばっかやろ、犯罪だよ」
その猿野は犬飼にちょっかい出して返り討ちにあったりしていて、騒がしい。
「今年の1年どうなってんだよ」
「まったくっすよ」
そう呟く横顔は、1年生の時より確実に大人びている。

「先輩の球は……」
長戸はその騒ぎを眺めながら、呟いた。
俺の球がどうしたって言うんだ?
しかし、続きがない。
「……何だよ?」
長戸の視線が揺らいで座卓に落ちた。
「……」
良かったのに?走ってたのに?
粗方そんなところだろう。
そんな在り来たりな慰めの言葉は、
返って傷口に塩を塗るようになる、とでも思ってるんだろう。
だから、続かなくなったんだろう。

お前になら別に、かさぶたを剥がされたっていいよ。
無理矢理にだってかまわない。

……一瞬とは言えなぜそんなことを思ったのだろう。
きっと、酔ってるんだろう……烏龍茶に。

「お前も飲めよ」
そこら辺にあったグラスに烏龍茶を注いでやった。
「ちょ、自分、コーラのほうが」
「何だよ、俺の注いだビールが飲めないって言うのかよ」
「はは、いただくっす。課長にはかなわないなー」
「いつまで続くんだよ、コレ」
「先輩だってノリノリじゃないっすか」

「……だな……」

長戸が飲み込んだ言葉が今になってじわじわ効いてきたみたいだ。
後輩にまで気を使わせてる、お前は一体何なんだ……自問自答はただ虚しい。
「いつか……」
俺はグラスを見つめたまま言った。
「はい?」
「飲めるようになったら、行ってみるか?」
「まじで?!俺と先輩で?!」
「おう」
「誘ってもらったぁ!約束っすよ?」
「おう、」
そんな嬉しいかよ?と言いかけて止めた。
嬉しいっすよ?!とか、当たり前じゃないっすか?!と返ってくるのが、
そんな言葉が、上司と部下の真似事の延長にあるのが嫌だった。

「じゃあ、やっとかなきゃ」
「?」
「携帯の番号おしえて」
「ああ、部屋にある」
「じゃ、後で……ね?」
長戸はやや顔を傾けて、にっと笑う。
可愛い……と思う。可愛い後輩だ。

「先輩、大学行くんですよね?」
「ああ、今日で踏ん切りついた」
綺麗に整えられた眉の、その眉根に一瞬皺が寄った。
「えっ?」
「受験に本腰いれるかな……その前に地区予選だけどな」
「……」
「お前は、あと一年あるだろ……虎鉄からファーストレギュラー奪ってやれよ」
「また、そんな、」
受験勉強の息抜きに、打撃練習に付き合ってやってもいい。
ふとそう思えた。

「バッピ(バッティングピッチャー)やってもいいぜ。時々なら」
「本当っすか?」
「キャッチャーがいないとな」
「弟がいます」

「平泉先輩、」
長戸はいきなり後ろを向き、聞いた。
「かまぼこ食わねーんすか?貰っていいすか?」
「長戸、おい、」
「平泉さん、いらないって。良かったすね?好きでしょ?」
皿ごと俺の前にでんと置いた。
「なんで、知ってんだよ」
「だって、刺し身とか鍋の取り皿きれいじゃないっすか」
長戸は座卓に並べられた料理に目を遣る。
「代わりに何食ってんのかな……あ、かまぼこの皿、カラじゃん……と思って」
「なんだよ、それ」
「いや、嘘つきました」
「は?」
「……見てました。
 かまぼこ食って飯食ってかまぼこ食って飯食ってっとこ。あっちから」
「見…てた?」
「よくかまぼこで飯食えるなと思って。すんません」
「いや、謝らなくていいけど……そんな珍しいかよ」
「珍しいでしょ、かまぼこっすよ?」
酔っぱらいのフリはやめたらしい。きまり悪そうな顔をしている。

「あははははは!」
方方からの視線を感じる。
そりゃそうだろう、1年生に、
それも入部したての1年生に殺られたばかりの3年生投手が口開けて笑ってるんだから。
「俺がかまぼこ食ってたらおかしいかよ、ははは」
こんなに笑ったのは、たぶんきっと久しぶりだ。
「ちょ、あの、先輩」
「見てんなよ、まじで。ああ、おかしい」
「すんません」
「だから、謝らなくていいから……浴衣にネクタイしてる奴に変って言われても」
「あ?はい、そうっすね」
長戸は照れたような、ちょっとうれしそうな顔した。

「先輩、さっきの……」
「うん?」
「打撃の練習付き合ってくれるの、お願いします…ね?」
「いいぜ」

鹿目がエースで次が自分だと自負していた。
今日までは。
2番手からも滑り落ちた男に構っている暇などないだろう。
お前にはまだ一年以上ある。

でも、俺が必要だと言ってくれるなら、
18.44mを投げてやる。

思う存分だ。

投げてやる。













よりぬきお題さん。