俺は今、ファミレスにいる。
待ち人が来る前に少しでもやっつけておこうと思って、
テーブルに広げてみたけど、やっぱり一人じゃどうにもなりそうにない。
……忌々しい夏休みの課題。

「連れがいるっぽいんde、あっこいいすKa?」
背後から聞こえてきた、この声は……
しかし、連れがいるっぽいってなんなんだよ……ぽいって。








恋のベンチシート









「Yo、長戸」
待ち人はコイツではない。なんでお前が出っ張って来るんだ。
「待ち合わせKa?」
「そーだよ」
「彼女?」
「……彼女つうか……」
「何だYo、その煮えきらねー返事は?おま、浮気Ka?」
「ちげーよ」
虎鉄は何やら重そうなバッグを俺の向かいの席にどさっと置いて座った。
「おい」
「彼女来たら移動するYo」
「はぁぁ……」
俺は窓外を見ながら、つい、ため息をついちまった。
「んだYo、邪険にすんなYo」
虎鉄は呼び出しベルを押した。

「デートに課題持ってくるなんTe、マジメちゃんかYo。あ、一緒にやんのKa?」
「お前こそ、猪里と?」
「そーだYo。一緒に宿題やんだYo……少しは終わっTa?」
「ちっとも終わらねぇ。コレ見りゃわかるだろ」
俺は数学のワーク1ページ目のその白さを指し示す。
「だよNa~」
店員が注文を取りに来た。
「とりあえずドリンクバーDe」

「お前、猪里んチでやればいいじゃねーか」
「それがだNa、オレんチでも猪里んチでも、勉強!ってならなくなるんだよNa。
 こう、Eー雰囲気になっちまって結局……わかんだRo?」
「……わかるけど……」
俺は、待ち合わせ場所の変更をお願いしようと、携帯を開いた。

「長戸」

「あ、一宮先輩。ちわッSu」

遅かった。

「虎鉄も一緒だったのか?」
先輩は、俺の隣に腰掛けた。
あああ、その、聞いてねぇぞって目やめて……ください……
虎鉄は虎鉄で、え?なに?偶然じゃないみたいだNa?って目で見て来るし。
「コイツは猪里とこれから勉強会みたいっす」
「へぇ、じゃ、まとめて見たらいいの?俺は?」
気の所為かもしれないけど、先輩は「まとめて」を殊更強調して言った。
「いえ、コイツは席、移動しますから」
「しませんYo?」
「は?なんで?するっつったろーが」
「先輩、長戸のついでで良いので、お願いしますYo」
「おい!」
俺はテーブル下で虎鉄の足を蹴った。
「ッてーNa。お前だけずりぃだろーGa、一宮さんに課題やってもらうなんてYo」
「虎鉄、俺は、やってやるんじゃないぞ。わからんところを見てやるだけだからな」
先輩はかなり毅然として言った。横顔きれい。かっこ良い。
「Hai、承知いたしましTa!」
「なら、良いけど」
「ち、世渡り上手め……」
俺はどうしたってぼやいてしまう。
二人きりだと思ってたのに。
俺だけ見てもらえる筈だったのに。

「あれ、長戸と、一宮先輩……?」
「おう、猪里」
「ちわーす」
「突っ立てないで、座れば?」
「あ、はい!」

「……びっくりしたばい」
猪里は、俺と先輩の顔を交互に見ながら、虎鉄の横に腰掛けた。
もう一人増えるのは規定通りだからどうってことない。
「一宮さんを連れて来るなんTe、さすが長戸は出来る男っすYo」
この一人目の衝撃がデカ過ぎなんだよ。
「俺、先輩と会う約束したけど、お前呼んだ覚えねーぞ、偶然だろうが」
俺は知らず険のある言い方をしていたらしい。
先輩は「ま、いいんじゃないの?」と小さな声で言った。

昼時なので、それぞれ注文して、
テーブルの上には所狭しと料理が並んだ。
6人掛けじゃなくて4人掛けだからかなりきゅうきゅうだ。
食べながら会話も弾む……けど、俺はこんな部活の延長みたいな集まりは望んでない。
先輩はどう思ってるんだろう……気になる。

「長戸の人脈なめてたZe……成績上位者常連の一宮先輩Ga、」
「煽てても、奢らないし。なんもいいことないぞ?」
「そんNa、めっそうもない!先輩の分は我々で持ちますYo」
「そんなのはいいから……課題は自力でやれよ。俺は解き方教えるだけだからな」
「この面子じゃ数学が、DoーにもCoーにもならなくTe」
「いいぜ」

食べ終わって、さっそく数学から取り掛かった。
数式見るだけでげっそりする。
ワークを進めようと苦闘しているうちに、
俺たち2年のおおよその理解度がわかったらしく、先輩は聞いた。
「数学の先生、誰?」
「ミッシーす」
「三島かあ……1年の時、担任だったわ。
 あいつ勢いばっかで、置き去りにするよな」
「ホント置き去りもEーとこで、迷子っすYo」
「予習すれば?」
「「「予習!!!」」」
「何ハモってんだよ。大事だと思うけどな、予習」
「そうで…すNe、Haha、2学期からガンバRoッかな?」
「そうやね……ははは」

「どこまで進んだと?」
猪里は言いながら俺と虎鉄のワークを覗き込んで来た。
「え?もうそげなとこまで?」
焦っている。
「なあ、置いていかんでよ」
今度は虎鉄の顔を覗き込んでる。
「置いてかねーかRa。ドコ?見してみ?」
「先輩の説明わかりやすいけん、なんや外国語が書いてある?てとこからは脱却できたけん」
「なー、良かったよNa?先輩いてくれTe」
ああ、コイツがこの席から離れなかったのは、そういうことか。
先輩を出しに、猪里からの点数稼ごうとしたんだな……小賢しいヤツ。

「オレ、甘いの食べたくなっTa」
「頭使い過ぎたんだろ」
「何か頼む?」
メニュー見て、2年生はパフェを注文した。
テーブルに到着した3つのパフェを見て、先輩はげんなりした風に言った。
「お前らそれ、ほんとに食うの?」
「食いますYo?」
「多くないか?」
「余裕っすよ?」
「よくそんなの食えるな……若さか」
「そんな変わらないじゃないっすか!」
三口ぐらい食べたところで、先輩が見てるのに気づいた。
「食います?」
パフェを掬ったスプーンを持ち上げて聞いてみた。
「あ?うん」
先輩は俺のほうを向いて、口を開きかけた。
その時、前の席からの視線に気付いたらしい。
「……やっぱ、やめとく」
ああ、もう、ほんと、二人だけだったら。

「数学はなんとかなりそうだな……後は、レポートとか残ってんだろ?」
「ラスボスDa……」
「大学行くとレポートばっかだぞ?」
「オレ 、野球やってりゃEーかと思ってましTa」
「虎鉄、コンパコンパで女の尻追っかけて、
 後は野球って思ってるんだったら、今のうちに考え改めたほうがいいぜ」
「Ha、hahaha、ヤダNa、先輩、そんな追っかけるワケないでSho、女の尻なんTe」
「お前は、絶対追っかけるやろ、あ」
シャーペンが、虎鉄の肘にあたって床に落ちた。
やばい、思った時には、
猪里は体を折り、テーブル下に転がったそれを拾い上げてた。
「ありがTo」
「うん……」

先輩は「ちょっと……便所」と言って席を立った。
俺は、猪里と目を合わせられない……何故なら……
「俺も」
先輩の後を追った。

先輩が席へ戻ろうとしているところを俺は捕まえた。
「先輩」
「お前な、見られたぞ」
「ごめんなさい」
虎鉄がシャーペン落とした時、
俺は椅子の上で先輩の手を触ったり握ったりしてた。
払われたりしなかったし、恥ずかしそうな横顔が嬉しくてつい調子に乗った。
腕時計がちょっと邪魔だな、そんな不埒な手の動きを、
テーブル下を覗いた猪里には見られたかもしれない。
「でも……離した後だったかも?」
見られてしまったんなら、腹を括るしかないだろう。
でも先輩に、一緒に腹を括ろうとは、俺は言えない。
やらかしたのは、俺だから。
「言い訳がましいっすよね。すみません」
「もう、いいよ……その時はその時だ」
「今日、虎鉄たち来るって知らなくて、俺」
「うん、わかってる」
「……ごめんなさい」
「もういい」
眼鏡越しの目は怒ってはいない。
「気にすんな」
寧ろ、この状況をちょっぴり楽しんでる風に見えた。
希望的観測ってやつかもしれないけど。

「……ねえ、先輩、虎鉄に鎌かけたでしょ?」
「いや、俺は別に鎌かけたんじゃないよ。でも、虎鉄より、あの猪里は……」
俺も、猪里の顔見てたからよくわかる。
先輩が「女の尻……」って言った時、
一瞬だけど、眉がぴくっと動いて目付きも厳しくなって口元をぎゅっと引き結んだ。
本人は無自覚なんだろうけど。
「どす黒い波動感じたわ」
「あはは」
「でも、俺はありそうなこと言っただけだぜ?実際虎鉄がコンパで女口説いたワケでもないのに?」
「さあ?想像したら腹立ったんじゃないすか?」
「虎鉄だもんな、容易に想像はできるよな……あと、『なあ、置いていかんでよ』って言ったろ?」
「わかりました?」
「なに、あの、甘えた声」
「あの顔であの声で福岡弁でしょ?虎鉄たまらなくなるらしいっすよ?」
「猪里はアレを無自覚でやってるのか?」
「虎鉄限定ですけどね」
「猪里こえーな。虎鉄も虎鉄で『見してみ?』言いながらすごい彼氏ズラしてたしな」
「はは、よく見てるじゃないっすか」
「3年で噂になってるからな、つい」
「え?噂になってるんすか?」
「ああ、結構前からな。牛尾から相談されたことあるよ、俺」
「何……を?」
「部の規則あるだろ?」
「ええ」
「風紀の項目に、部内恋愛においては風紀を乱すべからず、って入れなきゃだめかな?って」
「部内恋愛?!まじっすか?!」
「牛尾は大真面目だったぞ。だから俺は、まだ噂の域を出てないんだから時期尚早だ、とは言ったんだ」
「キャプはなんて?」
「そうだね、って、もうちょっと様子見てみるって。あの二人なら大丈夫だと思うしね、って」
「うわあ、アイツら先輩に感謝しないと」
「感謝とかはいいけど、お前さりげにもっと気をつけろって言ってやれよ」
「はい、そうします」
「本人達気をつけてるつもりなんだろうけど、注意深く見てみると、丸わかりだからな」
「俺も気をつけなきゃ……ですね」
「そうだな、俺もな」
「先輩は、何も悪くないから」
「これからのこと、言ってるんだよ」
俺との”これから”を考えてくれてるんだ。
急にドキドキしてきて、先輩の顔見つめた。
「……何だよ」
ここがファミレスなんかじゃなかったら、抱き寄せてキスしてる。
抵抗されても、してる。
先輩には、そんな俺の気持ち、きっとばれてる。


ちらと後ろを振り返ると、
一宮先輩と長戸はトイレ前の通路で立ち話をしていた。
「なあ、虎鉄、俺……見てしもうたかもしれん」
「何を?」
虎鉄はやっぱり気づいてないみたいだ。
「シャーペン拾ったときな、
 目に入ったとよ……向かいの椅子が……
 長戸の手がさっと先輩の手から離れたとよ……」
「DoーいうことだYo?!」
「どーいうこともこーいうことも、そういうこったい」
「猪里、はっきり言ってくれYo!手、握ってたのKa?」
「握っとったいうか、こげん感じで……」
俺は虎鉄の手首の裏をそーっとなぞりあげた。
「ぁ、ッ」
「ぷっ……なん?その声」
「コレ、自分でやっても感じねーNa」
虎鉄は自分の手首を擦ってみてる。
「やべーNa……アイツ、テクニシャンかYo。
 ホントに?こんな風に?エロく触ってたのKa?」
俺の手首を触ってきたので、はたき落とした。
「ちょっとやらせみろっTe」
「いかんって」
側を通ったホールの女子店員に見られたような気がして、
なおも触ろうとする虎鉄を牽制する。
「やめりぃ、課題やりに来たんやろ」
「課題どころじゃないだRo。もし、猪里が言うYoーな触り方してたんなRa」
「うん、しとった」
「付き合ってんのかNa?」
「どーやろね?」
「でも、長戸彼女いるじゃねーKa」
「最近見る?一緒おるとこ」
「……見ねーNa」
「やろ?……俺、二人のあの手が目に焼き付いてしもうて」
「そんな衝撃的だったのKa」
「うん……シャーペン拾って、長戸見たら、なんやしれっとしとった。
 先輩はちょっと動搖した風に辞書見とったな……で、トイレ行きんしゃったろ」

虎鉄と顔を見合わせる。
たぶん考えてることは一緒だ。
いつから?どっちから?何かきっかけが?
今の時点で長戸を突付いても、たぶん白を切るだろう。
どうやって、口を割らせるか?

「そういや、最初から怪しかったNa……
 オレ、聞いたんだYo。長戸一人だったから、
 待ち合わせ、彼女か?っTe。
 したらアイツ『……彼女つうか……』って目ェそらしたんだZe?」
「へぇ……」
「一宮さんと約束してたんなら、そう言やあEーじゃねーKa?
 なーんか態度が冷てぇし、猪里もうすぐ来るだろうし、
 彼女来たら席移るって言ったんDa。
 二人でお勉強会するんだNaと思ったからYo。
 でも、その”彼女”が一宮さんだとは思わねーじゃねーKa?」
「そりゃ、そうやね」
「一宮さん来た時、長戸、オレのこと、コイツは席移動しますって言ったんDa。
 オレがしないって言ったら、足蹴りやがったんだZe?」
「え?蹴られたとか?」
「あんまし痛くはなかったけどYo、蹴るほどオレが邪魔だっTaってことだよNa?」
「やろなぁ……」
「長戸と一宮さんにわりぃコトしたNa……Doーしよ」
「知らんかったんやけん、しょんなかと」
「あ、あと、パフェNa」
「ああ~」
「先輩に自分の食いかけをYo、食います?って聞かねーよNa?」
「聞けんなぁ……」
「えーと、何歩譲るんだっKe?……千歩?」
「まぁたお前は……百歩たい」
「そうそれDa、百歩譲ってだNa、
 食いかけじゃなくても、先輩に、はいア~ンはNeーよな?」
「俺、お前の顔ちらっと見たら、
 ぽかーんってしとったけんな、もう、おかしゅーて、
 吹き出すか思うた……ヤバかったっちゃん」
「びっくりしたもんYo……オレらがいなかったら、一宮さん、食ってるよNa?」
「そりゃ、そうやろな」
今度は二人で後ろを振り返る。
「あげな所で長々と立ち話せんでちゃ……」
「やらかしたよNa、オレ……」
「やけん、知らんかったんやけん。もう気にせんどき。
 あ、帰ってきよるよ。
 お前、わかっとるな?知らんフリせんばよ?」
「わかってるYo」


「先輩、予備校行く時間なんだってよ。俺も帰るわ」
「じゃ、オレらも帰ろっKa?」
「そうやね」

外に出ると、夏の日差しが未だじりじりと照りつけていた。
でも、少しづつ日が短くなってきてる。

「一宮先輩、今日は、Doーも、」
「「「あざぁッした!」」」
俺達2年は深く礼する。
「おう……こんな往来でいいよ、恥ずかしい」
「先輩のおかげで、かなり数学片付きましたけん」
「そりゃ、どうも。秋季頑張ってな」
「「「はい!!!」」」

「じゃ」
先輩と俺は、連れ立って歩き出す。
猪里が「あれ?」って顔したけど、もういいや。

「お前、こっちでいいの?」
「いいです」
家とは逆方向だけど、先輩と歩きたかったから。
「虎鉄から、先輩またお願いしますよって言われるかもって思ってた」
「はは、言いそうですよね……やっぱ、ばれちゃいましたかね?」
虎鉄のことだ、俺と先輩が付き合ってるのをもし知ったら、
また同じメンバーでお願いするなんて、無粋なことはしないだろう。
「言ったろ?その時はその時だ」
「俺が”その時”を……作っちゃったのかも」
「もう言うなって。なかなか有意義な集まりだったし」
「有意義……?」
「お前の学力がどの程度なのかよーくわかった」
「いじめないでくださいよ」

当初の予定通り二人だけだったら、先輩は俺の向かいの席に座っただろう。
隣に座ったときは、ちょっとだけ虎鉄に感謝した。
テーブルの下で時々先輩の手を悪戯するのは楽しかった。
あの時、恥ずかしそうな、と言うよりは、
確かに恥ずかしそうであるけれど、
そんな素振りを気取られないよう堪えていた。
払えばよいのに、なぜされるがままになっていたのか、わからない。

「ねえ、先輩、なんで……」
「……何?」
「いや、いいっす」

あの顔が見たいな。
どうやったらまた見れるかな?

また俺は不埒なことを考えてる。
先輩には気づかれないように、考えてる。