「夏雲や 蛙飛び込む 最上川」


「……あのねえ、あんちゃん」

「何ですかな?」

「暑いからって、つまんないこと言わないでくれる?」

「ふぉっふおっふおっ。
 平成の芭蕉こと猿野天国にむかって、失礼なこわっぱよのう」

「あーもう、五月蝿いな。今大事なところなんだから、静かにしてよ!」
兎丸は携帯ゲームの画面から目を離すことなく、苛立った声を上げた。

ここは野球部部室の真裏。
練習も終わり、
兎丸と猿野は日陰を求めてぶらぶらと此処へやって来て座り込み、
なんとなく落ち着いてしまった。
部室では、二年生の先輩二人が未だだらだらと着替え中だ。










11.インパクト大









隣でバカなことばかり言っている猿のあんちゃんの家は、
母一人子一人の家庭だと最近知った。
そして、家業は酒屋だということも。
晴れて原付の免許も取得したと聞くし、
こう暑い日が続くと、ビールの配達も忙しいのだろう。
しょうがないなあと溜め息を一つ、鍵当番の代行を申し出ようかと考える。
どうせ、今日は暇なのだ。
司馬くんは夏風邪を引いたとかで、休んでいる。


  「猪里ー、見Teコレ」
  「んー?」

虎鉄先輩と猪里先輩の声が、頭上の開け放たれた窓からから降ってきた。
ゲームそっちのけで耳をダンボにしてしまうのは、
この二人が付き合っていると部の一年生の間で噂されているからだ。
付き合ってるらしいと言われれば、たぶんそうなんだろうなと思う。
本人達は気づいていないだろうけど、
虎鉄先輩は猪里先輩と話をしてると、何と言うか、優し気で色っぽい目をしているし、
猪里先輩は猪里先輩で、
一見ちゃらんぽらんな虎鉄先輩に多大な信頼を寄せているように見える時があるから。

  「ココの皮Saー、もうちょっとでムケそうじゃNe?」
  「うわ」
  「うわ、ってなんだYo。Na、ちょっとムイてくんNe?」

思わず隣と顔を見合わせる。
猿のあんちゃんは、鼻の穴をおっぴろげて、
「けしからん!」とでも言いたげで、あやうく吹き出しそうになった。

  「嫌ばい。ばっちいやん」
  「ばっちくねーYo!ちゃんと風呂入って洗ってるMoん!」
  「そんくらい自分でしい」
  「猪里にやって欲しいのNiー……ホラ、見Te……おっきくなったZe」

あんちゃんは、ごくっと生唾を飲み込んだ。

  「見せんでもいいけん」
  「猪里、見せてYo」
  「早う着替えんば」
  「わー、キレイだNa……」
  「もう!見んな!恥ずかしかろうもうん!」

あんちゃんは赤面し、やや無骨な手で口を押さえた。
そうでもしないと、声を上げてしまいそうなのだろう。
しかし興奮している所為とは言え、こうも至近距離で見詰められると、
少しドキドキしてしまう自分がいて、
司馬くんのサングラス越しの優しい目を思い出し、
ちょっと申し訳ない気がしてくるから不思議だ。

  「隠すなYo!オレと猪里の仲じゃねーKa」
  「……俺、嫌なんよ……もちっと黒ぅならんかいな……」

「大根先輩、黒くならんかなだって、
 っぷ。使い込まなきゃ無理だっつーの。なあ?」
辛抱タマランという風に呟いた。

  バタン。

誰か部室に入って来たらしい。

先輩達は窓際から離れたみたいで、会話は聞きとれなくなった―――




「時に、比乃くん」
あんちゃんの目はキラキラと輝いている。
「なに?」
「聞いたかね?」
鼻息が荒い。まるで鬼の首を取ったみたいだ。
「……何を?」
「何をって、先輩達が乳繰りあってる会話ですよ」
「へえ……乳繰りあってたの?」
「まさにそうと言えましょう!」
「あれでしょ?虎鉄先輩が、皮……」
「そう!皮!青少年を悩ませる、あの皮!」
やっぱりそう思ってたんだ……まぁ、あの会話ならしょうがないか。
「連呼しないでよ。セクハラだよ?」
「しかしぴのくん、こりゃ大変なことですよ。
 部にモーホーが、それも二人ともレギュラーとなりゃ、部員の士気に関わりますよ?」
「…………」
そんなの、士気に関わることじゃないと思う。
自分のセクシャリティが何なのかはっきりと分かってる訳じゃないけど、
ちょっとムッとしてしまった。
「皮ってさ、きっとあんちゃんの思ってる皮と違うよ。フツーに背中の皮とかじゃないの?」
「…………え゛?」
「ほら、海行ったって言っててさ、すごく日焼けしてたから。虎鉄先輩」
「で、でもッ!おっきくなったって!」
「皮を剥いだ面積でもおっきくなったんじゃないの?」
「……う゛っ」
ぐうの音も出ないようで少し可哀想だが、ここは一気に畳み掛ける。
「あ、黒くならんかなって言ってたのもさ、肌のことだと思うよ?猪里先輩、色白じゃん?」


「ちっ。キザトラの野郎」
傍らのペットボトルを掴み、あんちゃんはすっくと立ち上がった。
「俺のことチェリーモンキーなんて呼びやがるくせに、
 ひょっとして、ひょっとしなくても、立派過ぎるほどの皮か●りなんじゃ……って、
 思ったのによッ!一瞬の夢かよ!」
押し殺した声で低く呟く。
「剥け○ンのイケメンなんて……」
「え?あんちゃん、虎鉄先輩の見たの?」
「キライだ……ッ!」
少し声が大きい。中の人に見つかるんじゃないかと慌てた。
「ちょ、あんちゃん、」

「バカーーーーッ!」
叫ぶなり、駆け出した。


「誰だYoッ!」



「あっ!」

見つかってしまった。
あんちゃんは敗走した後だった。

「モンキーの声がしたと思ったGa……なんDa、兎丸Ka。何やってんDa?」
「あ?ゲーム?……です。」
「お前、鍵当番Ka?」
当番はあんちゃんなのだが、仕方ない。
彼が忘れて行った鍵も傍に転がっていることだし、と思い頷いた。
「オレら終わるの待ってんのKa?」
「……はい」
「待たせて悪ぃNa、替わってやんYo。貸しNa」
「すみませーん」
お言葉に甘えることにして、立ち上がると、
虎鉄先輩はまだ半裸だった。
日焼けした肩の辺りの皮がめくれているのに気が付き、
自分は間違ってなかった、と安堵しながら鍵を手渡した。

---虎鉄先輩は細いけど、セクシーな体つきをしてるなー

   ……なんて考えるぼくは、どうかしてるのかな……



「お先です。失礼しまーす!」
「おう!」


表に回ると、部室棟はまともに西日を受けていた。
先を急ごうとして、慌てた風なあんちゃんに出くわした。
「鍵忘れちまった!」
「もーう!虎鉄先輩に替わってもらったよ」
「おー、ナイスだぜ。ぴのくん」
親指をビッと立て、ニカッと笑った。
常日頃モテない悲哀をこれでもかとダダ漏れさせているこの同級生だが、
顔は良いのだから下品さとエロさを隠し通すことが出来たら、
モテるんじゃないかとふと思う。

「あんちゃんさーあ、何でもエロに結びつけるの良くないよ」
「だってよお、あの会話はそうとしか聞こねーって」
「ちょっと考えてみてよ。もし付き合っててもさ、
 部室なんていつ誰が入ってくるかもわかんないのに、そんなコトしないでしょ?」
「ああ、そうですねー」
あんちゃんはもうこの話題に興味はないらしい。
明らかにつまらなそうな顔をしてる。
「もうアレだな。ヤロー限定部活における部内恋愛なんて、
 地球温暖化は果たして食い止められるのか?ってぐらいにどうでもいいな」
「食い止められなきゃ大変じゃん!」
「えー、ぴのくんは知ってますかな?
 牛のゲップが侮れないことを!
 ヤツらのゲップが地球に深刻なダメージを与えていることを!」
「え?そうなの?!」
「もう……この星は終わりなんだ……あと1秒後に……」
「早すぎるよ!てか、何も起こんないじゃん?!
 それよか、ぼくの言ったことわかったの?!
 あの二人は付き合ってなんかないんだよ?」
「へいへい、わぁったっつーの!
 もっとお母さんみたいに叱ってくれ~~~~~!!!」
あんちゃんといると、いつもこんな風にグダグダになってしまう。

校門を出ようとして、荷物が一つ少ないのに気が付いた。
「あ、部室に水筒忘れちゃった」
「水筒?お前の水筒ならホラ、ここにあんぞ」
「なに、これ……ドラ○ンボール?!あはははは!」
あんちゃんの水筒はプラスチック製で、懐かしい感じのシロモノだった。
幼稚園ぐらいの頃、よく見かけたような気がする。
「なあ、なんで母ちゃんっていうのは、スーパーの半額シールに弱いんだろうな……」
「半額だったの?」
「ああ、もう、かれこれ10年以上も前にな……
 おそろいの弁当箱もあるんだぜ……恐ろしいことに、まだ現役だ……」
あんちゃんは、ズーンと落ち込んで涙目だ。
「うっそだあ!」
「ま、明日は遠足だからな、水筒ナシは堪えるゾ。なんせ目的地は北アルプスだ」
「どんな遠足だよぅ。もう」
一人で帰りたくなかったけど、引き止めるのは気が引けて、
踵を返して走り出した。
「先帰ってて!じゃねー!」
「おうよ!じゃーなー!バナナはおやつじゃねーぞー!持ってくんなー!」
「しつこいって!」


再び部室に舞い戻ると、
薄いドアから声が漏れ聞こえてきた。

   「今日、来るって言いよったっけ?」
   「行くZe……あ、そDa。猪里ちゃん、モノは相談なんだけどSa、」
   「なんね?」
   「やっぱSaー、オレのツヨシにお帽子被せなきゃダメ?」
   「当たり前ったい」
   「この前のでなくなっちゃっTa☆」
   「買って来くればよか」
   「オレ、金欠なんですYo」
   「ふーん……したら今日は、お流れっちことで……」
   「Haあ?!オレが今晩に期待してどんだけ……!」
   「ばってん、無いっちゃろ?」
   「Naー、付けなきゃだめ?」
   「……お前はいっぺんヤられてみんとわからんごたぁね」
   「What's?!」
   「こっちは色々大変なんよ?いっそ試してみんね?」
   「……たッ、試しTe……?」
   「そ、今夜あたり、やってみん?」
   「…………今夜……?」
   「うん」
   「…………」
   「ははっ、冗談ばい。安心しい」
   「ヒデェYo、猪里!オレ、腹くくりかけたじゃねーKa!」
   「んじゃ、お前のくくりかけた腹に悪かけん、やっぱ試してみる?」
   「う゛っ。なんとかするかRa!そんなコト言うなYoー!」
   「はいはい、わかったけん」

目の前でドアノブがくるりと回る。
マズイと思った時には、開いていた。

「Oh、兎丸。まだいたのKa?」
聞かれていたなどとは露ほども思ってなさそうな晴れ晴れとした顔をしてる。
「……忘れ物しちゃって」
「何?もう鍵かけんZe。
 そう言や兎丸、モノは相談なんだけDo、金持ってRu?」
猪里先輩は目を丸くして虎鉄先輩の横顔をガン見した。
モノがモノだけに、後輩から金を借りるとは何事?!というところだろうか。
「ちょっとは」
「千円貸してくんNe?」
「あ、えー、はい」
「兎丸、貸さんでよか。俺が貸すけん」
猪里先輩がずいいと進み出た。
「え?いいNo?」
「今回だけたい。ったく……お前の神経はどげんなっとうとや」
「ゲーセンでも行くんですかー?」
何に使われる金なのかわかっているのに、何故だか聞いてしまった。
「あ、いや、違うんだYo」
Hahaha、なんて糸切り歯をのぞかせ笑った。
「鍵、やっぱぼくがかけときまーす」
「じゃ、頼むWa。てか、オレら何やってんだろNa?」



水筒を手に部室を後にし、鍵を返した。
暮れなずむ校庭の先には、虎鉄先輩と猪里先輩がゆっくり歩いて行く姿が見える。
親密そうな雰囲気。
最早入り込む隙間など無さそうだ。

---どこのドラッグストアが安いとか、猪里先輩なら言ってそうだよねー。

微笑ましい。
けれど、ちょっと面白くない。

「あ~あ、あんちゃんに大見得切っちゃったのになー。バッカみたい」

ふと隣を見上げてみても、司馬くんの顔は無い。

「つまんないなー。
 司馬くんの風邪早くなおんないかな……」

今頃、ぼくが大興奮で先輩達のヒミツをしゃべるのを、
ちょっと困ったような顔をして聞いてる筈なのに。


---ぼくたちは清い関係。
   それでいいじゃない。

そう思ってたのに、今までそう思ってたのに、
あの二人を見てたら、本当にそれでいいのかな?と思えてきた。

---近いうち、猪里先輩を捕まえて聞いてみようかな。

「ぼく聞いちゃったんだよ。付き合ってるのホントなんだね。で、どっちが告ったの?」って。

他にも聞いてみたいことは、たくさんある。

「男同士ってどうやるの?」って。
たぶん顔を真っ赤にして怒ると思うけど。

---清い関係もいいんだけど……
   最近ちょっと物足りないんだよね。

煮え切らない彼氏を焚き付けるノウハウなんてもの、もし知ってるんなら聞いてみたいんだ。























2007.9.4 初出