間延びした音に痺れを切らす。
ピンポン、ピンポン、ピンポン……!
拍子抜けなことに、留守みたいだ。
こんな天気の中、一体どこに行ったんだ?
携帯を取り出し掛けてみても、同じアナウンスが聞こえるだけで。

吹き付ける風に振り返れば、低く重く垂れ込める暗い雲---
何重にも渦を巻き、雨を振り散らしながら、恐ろしく速く流れて行く。
四階のこの廊下から手を伸ばせば、
雲の端を掴めるんじゃないかって思うくらい、近く感じる。






6月15日、台風で。part2







すぐ下から車のドアが閉まる音がした。
髪が濡れるのも厭わず真下を覗き込む。

---あの車……!

庇から覗く、あれは猪里の手だ……走り去る車に「ばいばい」って振ってる。
ちらっと見えた、肩に掛けてるのは合宿の時持ってたバッグ……

……小旅行、年上の彼氏と。
こんな天気だ……きっとホテルに籠もりきりで……

こんな廊下の外枠にしがみついてる場合じゃない、
猪里はエレベーターで上がって来るだろう。
上がってきた外階段からまた下りれば顔を合わせずに済む……よな?

鉛と化した足を引きずり、階段を下りる。
雨を避けるように内側の壁に寄り掛かかるように下りているのに、
肩に、頬に、容赦なく雨水が降り掛かる。
Tシャツは濡れて体に張り付いて、スニーカーの中もぐしょ濡れ。
今日一日中寝てたのに、何でこんなに疲れてるんだ?ってくらい、
何もかもが重くて、何もかもが濡れている。

傘を部屋の前に忘れた……でも、引き返していたら、出くわしてしまう。
猪里はたぶんオレの傘だって気付く筈。
……未練がましい男と舌打ちするだろうか?

……もう、どうでもいい、
慟哭、今此処でそれが出来たら、どんなに楽か。






「虎鉄?」

酷いじゃないか、神様。

---……何で?
   何でだYo?……会いたく……ないのNi!

壁に這わせた手が拳になり、コンクリを打った。

更なる絶望を、神様、ドーモアリガトウ。


「Yo、」

「どげんしたと?」

「……台風見物」

「嘘、」

見上げてくる大きな瞳が、小さなオレを映してる。
愛おしくて、意識が飛んだ。

降りられなかった残り一段を踏み切り、前に倒れ込んだ。
懐かしい体を抱き締めて、顔を埋めた。

「猪里……!」

名を吐き出すと、あとは泣き声になった。  

「オレ、ダメDa、」

「……」

「終わりに、しねーDe」

「……う、ん」

「猪里……猪里、お願い……!」

「……せんよ、虎鉄」

肩に温かく声が零れた。
顔を上げると、猪里も泣いてた。
両手で頬を包み込み、
親指の腹で目尻を拭って、口付けると、
水色の傘がパタンと倒れた。
ちょっとしょっぱいのは、たぶん、二人分の涙の所為。
初っ端から濡れたキスに、唇は応えてくれた。
湿って冷えた体も抱いてくれた。


猪里は風呂を沸かした。
入らせて貰って出て、入れ替わりに猪里が入って出てきた。
ソファに座って頭を拭いていると、
猪里はオレの隣に座って、二つのコップに麦茶を注いだ。
二人掛けだから、近くて……ドキドキする。
終わりにしないって、さっき聞いたような気がする。
だけど、鳩尾にめり込んだ拳の固さや、昨日の表情の無い顔が蘇ってきて、
にわかには信じられなかった。

走り去る車に振っていた手が、ことんとオレの前にコップを置いた。
飲んだら帰ろう……ぼんやり思いながら手に取った。

「ありがTo」

猪里は静かに口を開いた。

「お前、なんや誤解しとるっちゃろ?」

「……あのシルバーの車……、」

その続き、付き合ってんだRo?とは声に出せなかった。
情けないことに、声にするとまた涙が込み上げてきそうで、
冷えた麦茶を一気に飲み干した。

「そげなことやと思うたばい……あの人、俺の叔父さんっちゃよ?」


---……嘘っ?!


「エエーーーーッ?!」

「驚きすぎばい」
「オジサンって言われても……すげー若く見えたけDo?」

説明によると、猪里のお母さんは四人姉妹の三女で、四女とは歳が離れていて、
その人、猪里の叔母さんが年下の男と結婚した、それが件の彼らしかった。
まだ若いから猪里は兄さんと呼んでるらしい。

---ひょっとして……ひょっとしなくてもオレの勘違いってコトかYo?!

「えーと、猪里がタラちゃんとして、あの人はカツオってことだよNa?!」

自分なりに一生懸命考えて聞いたのに、
猪里は吹き出した。

「え?あー、そーたいね……あそこと違ーて、
 叔母さんの旦那さんやけん、血は繋がってなかばってんが」

猪里にとって叔母さん達は唯一埼玉に居る親戚だったのに、
この三月に転勤になってしまった。
そうだ、オレ達が座ってるソファベッドは、
不要になったからと、その時叔母さんから譲り受けた物だった。
スウェーデン製だったっけ?フィンランド製?
とにかく北欧の方の物で、送られて来たとき、
「カッコイイJan!」ってはしゃいで、早速この上で押し倒したのを思い出した。

薔薇のヘアピン……のことは聞かないでおこうと思ってた。
でも、それも、小学1年生の従妹の物だと教えてくれた。
ソファに掃除機をかけていたとき、マットの下から見つけて取っておいたそうだ。
それから程なく、新居に遊びに来ないかとお誘いの電話があって、
聞いてみたら、娘の宝物だから持ってきて欲しいと請われた。

「彼氏からのプレゼントなんげな……可愛かよね」

父の転勤でボーイフレンドと同じ小学校へは上がれなかった。
離れ離れになって、その上贈り物まで失くして泣いてしまっていたらしい。

「昨日から千葉に行っとったとよ」
「Ah、オバサンとこKa?」
「うん……ばってん、こげな天気で……兄さんせっかく休み取ったとに」
「どっか行く予定だったのKa?」
「ディ○ニーランドにな……今日千葉は県民の日で小学校休みやけんさ。
 俺は休みやなかばってん、一日ぐらいよかやろー思うて、
 休みますけんって昨日言っといたとよ」
「台風で休校になったけどNa……行けなかったんKa?」
「台風逸れてくれんやったけん……
 昨日の晩も従妹とてるてる坊主作ったっちゃけど」
「猪里、ディ○ニーランド行きてーNo?」
「……俺行ったこつなかもん」
「なんだYo、オレが連れてってやんのNi!」
「お前、4、5回行ったこつあるて言うとったやん」
「猪里と一緒なら、何度だって、世界の果てまでだって行くZe!」
埼玉にも県民の日はある。カレンダーで調べてみたら、今年は水曜日だ。
「行こーZe?そーDa、台風が来ねーように、今からてるてる坊主作るKa?」
「去年、練習やったやろ?」
「いいJan、ふけよーZe?」

ちょっと怖々肩に手を廻してみると、
叩き落とされたりはしなかった。
気を良くして、廻した腕にぎゅっと力を込めたみた。
腕の中に猪里が戻ってきたって思っちっまって良いのか……?

「電話してくれTa?」
「……昨日のこととか、謝りたかったけん……」
「猪里は悪くねーYo」
「俺……なしてあげなこつ言うてしもーたとやろ?…ちかっぱ後悔したと。
 なんや昨日も今日も何しとったっちゃ上の空でな、
 取り返しの付かんこつした……馬鹿なこつしたて、ばり泣きそうやったとよ。
 なんか悩み事あるの?って兄さんにも聞かれて……
 さっきもな、一人で悩んでないで電話しろよって念押しされたとよ」
「オレも……ショックデカ過ぎて、朝から何も食ってねーYo」

額と額をくっつけて、二人して笑った。
想いは同じってコト……なんだよな。

「あのヘアピン、従妹のだったんKa……」
「そうたい」

オレは確か、純な小さな恋心を汚すような事を言った……女を連れ込んだだろ、って。
知らなかったとはいえ、猪里がカチンと来るのは当たり前だ。

「なんかなし……」
「なに?」
「笑わん?」
「笑わないっTe」
「なんかな、俺ばっかしヤキモチ焼かさるっとは不公平やなかか?って、
 心のどこかにあったとやろな……
 だけん、あげなこつしてしもーたと。
 秘密たい、なんて、ちょこっと言うてみただけなんよ?」

猪里がオレにヤキモチ焼かせようとしたなんて、可愛い過ぎて、
違う涙が出てきそうだった。

「オレ達ボタンを掛け違えただけ、そーだよNa?」

猪里はくすっと笑った。

「まーたそげなツヤーなこつ言うげな、」
「ツヤーNa?」
「格好つけとるいう意味たい」
「んなモンつけてねーYo!」
「いや、つけとうと。
 また毎日そげなツヤーなセリフ聞かさるっとか……俺、疲れるったい」
「なんだToー!」

猪里は小さく悲鳴を上げたけど、お構いナシ、押し倒した。
ソファだから狭い……はやくベッドにしないと……してイイんだろ?

窓の外はまだ雨が降ってる……
でも風はもうさほど強くないみたいだ。
オレ達に吹き荒れた嵐も治まったんだよな?
吹き荒れた嵐なんて言うと、また「ツヤーな」って笑われるから言わない。
兎に角、喧嘩はお終い。
そうでなきゃ……スゲー困る、ってかマジ立ち直れない。
……情けねーよな……オレ。

「虎鉄?」

猪里が不思議そうにオレの顔を見上げるから、ふと頭に浮かんだ歌を歌ってみた。

「Nー?花Mo、嵐Mo、踏み越えTe♪」
「あぁ、行くがー男の、生きーるみーちぃ♪……そっから知らんと。
 てかお前HIPHOP調に歌うなや。」
「オレ達にぴったんKo!」
「やね……」

顔を近づけキスすると、目を閉じて、受けた。

「ひさしぶりだしNa、キスの雨…じゃなくて、キスの嵐、OK?ハニー?」

「やっぱ、ツヤつけとうやん!」


歌の続きは知らないけど、

猪里、

これからも色んなコト踏み越えて行こうな?














(2004.7.6 初出)