酒の入った親父連中から虎鉄を救い出し、キャッチボールに誘った。
虎鉄に投げるのは好きだ。
わざと外した球を投げても、しなやかな体のバネを生かして難なくキャッチする。
俺達ならゲッツーの山が築けるだろう。
ちょっと自惚れてるだろうか?









茜空








今の時期、午後もある時を過ぎるとぐっと寒くなる。
グローブとボールをバイクの前カゴに入れ、スタンドを上げた。

「オレが今度前Na」
前に跨ると、虎鉄は悪戯っぽく微笑み、当然のように宣った。
「は?大丈夫かいな?」
「原チャなんてチョロいZe」
「お前乗ったことあるとね?」
「あるZe。牛尾さん家De。すげぇオートバイNi」
「やったら、乗ってみんしゃい」
ハンドルを預け、腰を後ろにずらした。
「おう、任せときNa」
虎鉄は余裕綽々で発進させた。


夏休み、次期主将と呼び声高かった牛尾先輩の邸宅にお邪魔してご馳走になった。
トンボを片付けながら、
「こんな日はプールに行きてーよな」などと喋っていた部員達を自宅のプールに誘ってくれたのだ。
「虎鉄くんと猪里くんも来るかい?」と聞かれ、
「「行きます(Su)!」」と即答した。
俺と虎鉄はラッキーなことに迎えの黒塗りリムジンに乗せて貰えた。(目隠しされたけど)
広大な敷地にそびえ立つ荘厳な屋敷に度肝を抜かれた。
ここは埼玉などでは無くて、どこかの小国なのではないだろうか?
牛尾先輩は本当は王子様なのでは?と思った程だ。
いかにも煌びやかな冠と白いタイツに帯剣が似合いそうではあるし。

  「あんまスピード出ねーNa!」
  「2ケツやけん、しょんなかたい!」

森を抜けて辿り着いたプールは大きく緩やかな曲線を描き、青く澄んだ水を湛えていた。
プールサイドには白いデッキチェアが並び、周りには椰子の木が植わり、ブーゲンビリアの香りが漂っていた。
「ここはハワイやなかと?」と思わず口走ってしまった。
「猪里がそう思うんなら、きっとそうなんだZe」と虎鉄は笑ってた。

そう言えば、牛尾さんのバイクに乗ったとか、虎鉄が話していたのを思い出した。


***

「虎鉄、どこ行っとたと?」
「牛尾さんのバイクに乗ってたんだZe」
「バイクに?」
「母屋と離れを往復するのに時々乗ってるんだってYo。
 『ちょっと母屋まで行くだけなのに、いちいちニルギリや運転手を煩わせたくないからね』って、
 サワヤカーな笑顔で言ってたNa。『私有地だからね、車もこっそり運転してるんだ』だってYo」
「へえ、車も。で、どげなんに乗ったと?」
「雑誌でも見たコトないような外国製でピッカピカでYo、アレはすごかったZe」
「俺も呼んでくれればよかったとに」
「探したけDo、あの広さだRo?迷っちまってYo」
「乗ってみたかったと」
「そう言うと思って探したんだっTe。でも、一人で泣いてる鹿目先輩に出くわしただけでYo。
 三象先輩とはぐれたんだNaと思って、声掛けたRa、
 『ぎゃああああ!!!』ってすっげぇ声で叫ぶんだZe?
 『こ、虎鉄なのか?!またゾンビかと思ったのだ!びっくりさせるんじゃないのだ!』
 って怒られて、腰抜けたとか言うから背負って屋敷の中を探し回って、携帯で場所聞こうにMo、
 プール入る前にバッグに入れて、そのまま忘れちまってるSi、マジ疲れたZe」
「ははっ、三象先輩は俺と一緒やったとよ。途中で鹿目先輩がおらんて気付いて探しに行ったごたったが」
「おう、会ったZe。『三象、どこ行ってたのだ!』って怒鳴られTe、三象さんカワイSoーにしょげちまっTe」
「可愛か顔してキツか男ばい」
「たぶん、何か食ってんだRoと思って探したけど、食堂だけでも何カ所もあるSi」
「ジャムおじさんにバリ似とうコックさんの料理な、バリ旨かったとよ!」
「やっぱ食ってたのかYo」


***


原チャリは帰り道を走る。
ふと思い立って、ポケットを探り、小銭が入っているのを確認した。
「そこん信号、左に曲がって!」
「ドコ行くんDa?!」
「神社ばい!」

鳥居をくぐると、いつもは閑散とした場所が今日は初詣の参拝客で賑わっていた。
丁度一年前、中学の友達何人かと高校合格の祈願に来て、
十二支高校に受かりますようにと祈ったのも此処だった。

「オレ、小銭ねーYo」
「俺持っとうけん」
と硬貨を渡した。
二人して賽銭箱に放り込む。
ちゃりん。
鈴を鳴らす。
がらんがらん。
目を閉じ、手を合わせて祈りを……



石段を下りながら、虎鉄は聞いた。
「なんてお祈りしTa?」
「人に教えたら叶わんごとなると」
「それ、違うだRo?」
「違わんばい」
「オレは猪里とたくさんの時間を過ごせますようNiって願ったZe」
「は?お前、家内安全とか高一程度の漢字が書けるようになりますようにって、願えばよかったったい」
「もー漢字は沢山だZe!Na、教えろYo」
「五穀豊穣」
「ウソだRo?!」

正に虎鉄と同じことを祈ったと言えずに、黙ってしまう。
この男は言葉にするのを躊躇ってしまうようなことを臆面もなく言って退ける。
それにいつもどきどきさせられる。恥ずかしいヤツ、と思いながら少しだけ羨ましかったりする。
たくさんの時間を過ごせますように……か。
自分も願ったこととは言え、面映ゆくて逃げ出したくなる。


横から顔を覗き込まれ、また聞かれる。
「ホントのコト教えろYo」
「やけん、家内安全とか、兄貴の合格祈願」
「マジかYo」
「あと安産」
「誰孕ませたんだYo」
「お前がその内誰か孕ませるやろ」
「お前一筋だって言ってんJan!」

正面に回り込んで来て、キスしたいと目と唇で訴える。
目線が泳ぎ、キス出来そうな場所を探してる素振り。
ああ、あの絵馬を沢山つり下げてある後ろを見つけたな……
虎鉄は俺のこと「カワEー」ってしょっちゅう言うけど、俺は逆だろ?っていつも思ってる。
「お前の方が可愛いばい」と呟き、片笑んで、
バンダナで隠れた額にビシッとデコピンを喰らわせてやる。
さっと身を交わし、そうはさせるかと走り出す。
ここは往来、しかも神社の境内。
そんな罰当たりなことは出来ないんだよ?

「イテーNa、待てYo!」

走りながら思い出したのは、牛尾邸のプールでの虎鉄の顔だった。
俺達は未だ付き合う前だった。
水の中で巫山戯てじゃれ合って、ふと笑い声が止んだ瞬間---
少し吊り上がった目の澄んだ瞳に射竦められて、思わず見詰め返した。
そこはハワイなんかじゃなかった。
その証拠に沈黙した二人に蝉時雨が降り注いで、気まずいと感じた。
八重歯が唇を咬み、切なそうに瞳が揺らめいて(水面を映していただけかもしれないけど)
虎鉄は視線を外した。


「つーかまえTaっ!」
「わあ!」
後ろから覆い被るように抱き付かれ、ひっくり返りそうになる。

キスは諦めたみたいで、ほっとしながら並んで歩き出す。
「牛尾さん家のプール、また行きたかね」
「Oh、そーだNa……あの時Na、」
「ん?」
「猪里の濡れた体とか唇がSexyで、無茶苦茶キスしてぇーって思ってSa」
なんだ、無茶苦茶不純なことを考えてたのか、コイツは。
「ばぁーか」
でも、馬鹿だと言える立場じゃないのは、自分が一番よく知っている。
虎鉄を唯の友達として見られなくなったのは、あの夏からだったから。

キスを欲したのは、たぶん、虎鉄だけじゃなかった。


原チャリまで帰り着き、二人して跨り、
虎鉄はエンジンを吹かした。

「ホントに家内安全とかだけかYo」
「そうたい」
ぐいと体を後ろに捻って来た。

「?」


Chu。


不意打ちのキスはまるで電光石火の早技。

「きさん!」
「猪里ウソくせーコトばっか言うから、貰っちゃいましTa」
「きさん……!」

言葉とは裏腹に、火照った頬を虎鉄の背中に押しつける。

本当のことなんて俺は言えない。きっと、これからも。

バイクに2人乗りは、男が男の体に腕を廻していても不自然じゃない。
不自然な付き合いをしてる自分達だからこそ、今はこの体勢を甘受させて貰おう。

腕に力を込めると同時に、虎鉄は滑るように走り出した。



茜さす西の空を後ろに、明日はもう、
あの東の空の下へ帰るんだ。


此奴と二人で。























('04.1.13初出)