早いもので、入学して一ヶ月半が過ぎた。

木漏れ日が煌めき、風はやさしくそよぐ麗らかなこの季節---
しかし、否応無くテスト週間はやって来る。






さあ、どうする?








入部してからは、毎日暗くなるまで練習---
否、練習とは名ばかりの、無能な先輩にこき使われる日々が続いていた。
あと一週間でテスト突入ということで、今日からしばらく部活は無い。
ハードでストレスの溜まる日々にあって、ぽっかり空いた時間は貴重だった。

まだ日の高いうちに帰れるのが嬉しい所為もあり、
今日虎鉄は、気になっていたことを実行に移すことにした。
猪里の一人暮らしの様子が見てみたくて、訪問の伺いを立てたのだ。

「猪里ん家行ってみてーNa」
「よかよ」
「やっTa!なあ、オレが初めて?家来るの」
「そうたい」
「長戸は?」
「来たことなかよ」
「……Fuーん」
虎鉄はちょっとニヤけてしまう。
「マンションなんだRo?」
「うーん……そう聞いとるっちゃけど……」
「Hahaha、住んでんのにわかんねーのかYo」
「ばってん、古かし、名前も十二支ハイツって言うとよ」
「なんかマンションっぽくねーNa。
 オレの伯父貴住んでるトコ、グランドパレスコートって言うZe?すごくNe?グランドでパレスだZe?」
「それ、分譲やろーもん……」
「まーNa。でも、思いっきり名前負けしてんだけどNa」
「ははは」
「てかSa、なんでソコに住むことになったんDa?」
「大家さんが俺のじいちゃんの知り合いなんよ。元は福岡の人なん」
「Heー」
「前は、近くに短大のあって、女子がいっぱい住んどったって聞いたばってん、」
「うわ、羨ましーZe」
「人の話ば聞きぃ。女子でいっぱいやったとは、昔のことたい」
「ちぇー、期待して損しTa」
「アホ」
「なんでいなくなっちまったNo?」
「短大が大学に吸収されて、のぅなったんよ」
「ああ、聞いたことあるZe。A大学だRo?」
「そうたい、そんで、遠ゅぅなったけん皆引っ越したって聞いたと」
「Fuーん」
「大家さん、やけん今は、なかなか部屋がうまらんで苦労しよんしゃーとよ……
 古かけん、家賃安ぅしても駄目なんやって」


途中コンビニに寄り、
信号を渡り、道なりに進み、緩やかな坂を上る。

いつかの春の夜雨に打たれていた建物は、
長閑な春の空の下にひっそりと佇んでいた。

「Oh、ここが昔女の園だったマンションKa……昼見ると、ちとボロいNa」
「ボロくて悪かったばい」

階段を上りながら、会話は弾む。

「猪里の部屋も、短大のオネーサンが住んでたってことだよNa」
「そげんヤラしかこつ、考えたこつないけんね、俺」
「考えるだRo?フツーはYo」
「なかって言いよっと」
「風呂入りながら、この湯船の中で……とKa!キャー猪里ちゃんのエッチ!」
「しぇからしか!それに、何ね?猪里ち・ゃ・んて」
「……N?」

猪里のことをちゃん付けで呼んだのは初めてだった。
勢いから出た言葉だったけれど、
あまりにしっくりくるので、虎鉄は少し驚いた。


「猪里ちゃんKa!なんかやべーぐらいぴったりだNa!」
「ぴったりやなか!」
ちょっと不貞腐れたような仕草が好ましくて、つい顔を近づける。
「やなNo?」
「……なんかなし、好かんと」
くいと逃げられた。
「フツーに使うJaん?あ、そう言やオレだって、こてっちゃんって呼ばれてたWa」
「こてっちゃん……ぷっ」
「カワイーだRo?」
「……まあね」
「だから、いいだRo?猪里ちゃん?」
「それとこれとは別」
「Eーじゃん」
「別!」
釘を刺すように虎鉄を睨んだ。

猪里はあるドアの前で止まり、鍵穴に鍵を刺した。

「ここ?」
「そうたい」
ドアを開けながら、にっこり微笑む。
「さぁ、どーぞ」
その笑顔に虎鉄の心は波立つ。
しかし、それが何故なのかは、わからない。

「……お邪魔しまーSu……やべー」
「何がやばいと?」
「……ちょっとドキドキ?」
「なして?」
「……わかんNaい」
「お前、おかしかよ。
 短大のオネーサンはおらんけん、落ち着きんしゃい」
「ホント?隠してないKa?押し入れとかに?」
「隠しとりゃーせんよ!」
有り得ないといった風に笑った。

上がってみると、猪里の部屋は地味な色のカーテンが下がり、色彩に乏しかった。
小さなタンスと、ちゃぶ台と机を兼ねているらしい、これまた小さなテーブル。
流し台のそばに単身者向け冷蔵庫。家具と言えば、それくらい。

「なーんも無いやろ?」
「えらいスッキリしてるっつーKa……でも、猪里らしくて、いいYo?」

さっきはちょっとばかしどうかしてたのだ、と虎鉄は思う。
あの一瞬跳ね上がったテンション……そうだ、
まるで彼女の部屋に初めて招き入れられたような……
何故だろう?
此処は友人の部屋だっていうのに。

虎鉄の思惑を余所に、猪里はドサッと鞄を置き、勢い良く窓を開けた。
五月の風がそよと吹き抜け、部屋に明るい光が差し込んだ。

「きれいにしてんJan」

「そお?ま、物も少なかけんね」

確かに殺風景だ。
だけど、居心地の良さそうな部屋だ。

「それでは……」
「?」
「ガサ入れ開始Da!」
虎鉄は早速、狭い部屋の中をうろうろしてみる。

「なにコレ?」
「虎鉄んちにもあるっちゃろ?炊飯器たい」
「デカくNe?」
「一升炊きたい」
「スッゲー!お前どんだけ食うんだYo!」

「ここ、風呂?洗濯も自分ですんNo?」
「当たり前たい。洗濯機があるけん楽勝たい」
「安心したYo」
「何が?」
「猪里って、薪でご飯炊いて、川で洗濯してるイメージあったかRa」
「ははっ、そげん生活ちょこっと憧れるばい」
「マジ?!」

「ちょ、テレビ……」
古くNe?と続けようとして躊躇したら、猪里がすかさず答えた。
「古かかろ?従兄のお古たい。ついでに洗濯機も冷蔵庫も」
「道理でどれも年季が入ってると思ったZe。」
「全部買うたらバリ高うつくやん?物持ちの親戚がおって助かっとるばい」

教科書や本が並ぶ棚のチェックも忘れない。
「何見とると?試験勉強でんするとかいな?」
「Nー?……オカズ向きな本?」
「料理?」
「またまた猪里ちゃんたRa。エロいオカズに決まってるでSho」
「そげなもん、無かと」
「え?猪里ってオカズ無しでもイケる口なのKa?」
「はあ?意味わからんけんね
 そや!見てん、虎鉄!」
急かされ、一緒にベランダに出る。
南西の方角を見遣ると、晴れ晴れと富士山が見えた。
「Oh!Mt.FujiだNe」
「今日はよう見えるたい。
 俺、此処来るまで富士山見たことなかったけん、うれしか」
猪里がにっこり微笑んで、目を合わせてくる。
虎鉄は、また仄かに心浮き立つのを感じた。

「気持ち良か日たいね」
「……N」
「これでテスト前やなかったら、良かったとに」
「……だよNa……てか、暑いNa」

虎鉄は部屋に戻り、
学ランを脱ぎ捨て、胡座をかいて座った。
そして、やや思案顔でテーブルに頬杖をつき、猪里の背を見る。

色素の薄い髪を撫でた光が、床に落ちている。

「猪里」
「んー?」

その光は、日溜まりを作っていて、キラキラときれいで、
それが全てでは無いにしろ、
名を呼び変えてみるには充分な理由だった。

「猪里ちゃん」

「なーん?ちゃん付けせんどってって言いよろーが」
猪里は気怠そうに、未だ外を眺めて、やや投げやりな口調で答えた。

「呼んでみただKe」

「……馬鹿にしとると?」
振り向いた表情は、逆光の所為で見えにくい。

微笑んでいるのかな、険しい顔をしてるのかな?

だって、ホントぴったりなんだMoん。
……って言ったらどんな顔するかな?


虎鉄は久しぶりな高揚感を楽しんでいた。

その正体に未だ気づかないままに。


















'08.11.13 初出 「よりぬきお題さん。」