いつからだろうか。
猪里と一緒に下校するようになったのは。
---5月ぐらいだったっKe……
「日の短こうなりよったなあ」
「そうだNa」
---そろそろ秋Da。
signal
猪里に対して自分はどうすればいいのか、この頃はそんな事ばかり考えていた。
相手が女の子なら、虎鉄はこれほど迷ったりはしない。
これまでは告られて、まあまあ好みのタイプだったら付き合ってきた。
自分から告ったことってあっただろうか?
あったような無いような。
そんな結構重要な事もあやふやなのは、
今までのは、場数だけはやたら多い恋愛ゴッコのようなものだったからだろう。
猪里に「好きだ」と言ってしまっていいのだろうか。
言えば、猪里のことだ。あからさまに避けたりはしないだろう。
でも、至極自然な今のこの友達としての付き合いが、
不自然なぎくしゃくしたものに替わるのは火を見るより明らかだ。
だから、言ってはいけない。
気付かれてもいけない。
猪里が何か部活について喋っているが、
虎鉄の目線は下向きで相変わらず生返事ばかり返した。
「虎鉄、聞いとーと?」
「Ah~~~何?」
「何考えとーね?おかしかよ。話したっちゃ上の空で」
---お前の所為なんだYo
「遣るせ無さMAXってぐらいな恋をしてるのSa」
---これぐらいならいいよNa。わかりゃーしねえYo。
「ふ~ん……片思い?」
「……ああ」
「遣るせ無さMAX?」
「おう」
「へぇ~、相手は誰ね?人妻とか?」
「Oh!ばっちり守備範囲だZe。でも違うNa」
「違うんDa……」
少し低く発せられた声に「聞かないでくれ」というニュアンスを感じ取り、
猪里は何も返せなくなった。
十二支高校から12、3分も歩くと片側2車線ある割と大きな幹線道路に出ることになる。
この道路に架かる横断歩道を渡るのは猪里で、
虎鉄は渡らずに左に折れて帰路に着く。
この長い横断歩道には当然ながら信号があり、それが青になれば、
「じゃあな」とか「また明日な」と言って別れた。
他愛もないことを話していて、次の青、もしくはまたその次の青になって、
やっとバイバイということも度々だった。
今日はあまり待つこともなく信号は青になった。
「虎鉄……」
猪里が肩をぽんと叩く。
「其奴もな、お前と同じ気持ちかもしれなかよ」と言うと、
綺麗に並んだ白い歯を見せて、にっこり微笑んだ。
その表情が可愛くて、虎鉄は胸の奥が少し震えるのを感じる。
「んなら、また明日」
「?……お、おうYo」
二人の足は違う方に向けて動き出した。
猪里は真っ直ぐ前を見て、足早に渡っていく。
虎鉄は猪里の言葉に違和感を感じながら歩き出す。
---……変な言い方だよNa。
オレを元気付けようとしたのKa?
---猪里って女の子のこと「其奴」呼ばわりするような奴だったっKe?
---ってか誰Yo、「其奴」っTe……
「!!!」
信号は青だが、点滅していた。
虎鉄は走り出す。
「猪里!!」
目指す人物は横断歩道を渡りきり、続く緩い坂道を上っていた。
虎鉄の呼び掛けに気づき、走って来る姿を目に留めると、
慌てたように背を向け走り出した。
「待てYo!!」
猪里も必死で走った。
鞄は重く放り投げたくなった。
二人の高校生男子がフルスピードで駆け抜ける様に、
買い物帰りの主婦も何事かという顔をしている。
部活での訓練の賜物か、二人とも走るのは速かった。
50メートル走のタイムではその差は0.4秒。
虎鉄の方が速かった。
その差が功を奏したのか、
捕まえたいという気持ちが逃げ切りたいというそれよりも勝っていたのか、
二人の距離はいつしか縮まり、
手を伸ばせば触れる距離までになった。
「猪里!」
追い付かれ、諦めたのかやっと猪里は立ち止まった。
虎鉄の肺は空気を求めて喘いでいる。
観念したように振り返った猪里も荒い息を吐き出す。
『其奴って誰だYo!お前だRo?』って聞かれると思っていた。
『其奴って誰だYo!お前だRo?』って聞こうと思っていた。
けれど、すうと息を吸って、一気に虎鉄の口から放たれたのは……
「オレ、猪里が好きDa!……ほんとマジだかRa……!」
大きな目を更に大きく見開いて、猪里は固まってしまった。
「猪里……?」
「……」
「返事……聞かせTe?」
「お、俺……」
「N?」
「む、無理!!!」
頬を赤く染め半ば絞り出すように言うと、猪里はまた踵を返そうとする。
虎鉄は素早くその腕を掴んで聞いた。
「何が無理なんDa?」
今までに無い真剣な眼差しと声に気圧されて、
猪里は言葉を失い、ただ虎鉄の目を見詰めた。
「言うのが無理なのKa?」
猪里は頷く。
「付き合うのが無理なのKa?」
ゆっくり頭を振る。
---ってことWa?
「じゃあ……いいのKa?」
コクン。
「猪里~~~!手間かけんなYo!オレもう心臓バクバクだZe」
「……腕、痛いっちゃけど」
「Ah、悪ぃ」
虎鉄は掴んでいた手を放すと、
悪戯っ子のような笑みを浮かべて猪里の顔を覗き込み聞いた。
「ところで、猪里サン。
『其奴も同じ気持ちかもしれない』って言ったJaん?ソイツって……」
「あ~~~~もう!!!俺のこったい!!!」
殆どヤケ気味に言い放ち、歩き出す猪里に苦笑しながらも、
唇を軽く噛みちょっと悔しそうな表情が愛しくて、
虎鉄はその肩を抱き寄せる。
そして牽制する間も与えず、
上気した頬にそっと、蝶が花弁に止まるかのようなキスをした。
「なっ……!!!」
そればかりか「両想いだNa。よろしくNa!」と、
ウィンクまで寄越してきた。
翻弄されっぱなしの猪里は悔しくて仕方がない。
形勢逆転とばかりに、肩に置かれた手を思いっきり叩き落とした。
「いTeっ!」
「調子に乗んな」
「猪里、冷Teぇ」
「こげんとこでキスする奴の悪か!」
「ごめんなSai」
二人の長い影が揺らめきながら道の上を滑って行く。
「どこまで付いて来る気ね?」
「猪里サンちまDe」
「帰れ」
「なんDe?」
「……」
「何にもしないZe?」
その言葉に静まりかけた猪里の心臓がまた早鐘を打ち始めた。
頬に触れた唇の感触が蘇った。
「帰らんと、くらすよ?よかと?」
「彼氏に対してそれはないだRo?」
「こ~~て~~つ~~!!!」
「帰りまSu」
---恥ずかしいからって、怒んなくてもいいじゃねーKa!
しかし、これ以上しつこくすると本当に拳を喰らいそうなので、
不本意ながら退散することにする。
別れ際、猪里は片手を少し揚げ、無言ながら照れくさそうに微笑んでくれた。
それが嬉しくて、懲りずに飛びつきそうになるけれど、堪えて手を振った。
明日という日もその次もずっと灰色の高校生活だと思っていたけれど。
---今日を境に変わるんDa。
---でもNa~、あんな調子じゃ、先が思いやられるZe。
虎鉄の顔は夕暮れの空の色に染まりながら、
どうしようもなくニヤけていた。
2003.9.19初出