「猪里ん家行ってみてーNa」
いつもの帰り道、虎鉄は聞いてみた。
今日は部活も休みで、時間はあった。
一人暮らしだと聞いていたので、一度行ってみたかったのだ。

「よかよ」という返事だったので、
そのまま直行して、上がりこんだ。








揺れる想い








「きれいにしてんJan」
「そお?ま、物も少なかけんね」

---オレの部屋なんか、雑誌やCD、服でぐちゃぐちゃDa

実際、猪里の部屋は片づいていた。

グレイのカーペット敷きの床に座ると、
開けたベランダの窓から風が入って気持ちよかった。

「飯とか作んNo?」
「実家から野菜と米ば送ってくっけん、それで適当に作っとぅとよ」
「Heー、お前偉いのNa」
「褒めたっちゃ、何も出らんよ?」

コンビニに寄って買ったポテトチップスを食べ、
コーラを飲みながらレーシングゲームに興じていると、
そろそろ夕闇も迫ってきた。

「ははっ、俺の勝ちばい」
「くっそ、もう一回Da!」



その時、それは起こった。



グラッ

「地震?!」

「!!!」

テレビが揺れ出すのを見た瞬間、
猪里はコントローラーを放り投げ、
胡座をかいて座っている虎鉄に寄り掛かった。

---猪里?

無意識なのだろう。虎鉄の膝上あたりに片手を置くと、
じっと息を詰めている。
チェストの上の冷却スプレーが今にも倒れそうに揺れている。
それを凝視しながら、猪里は虎鉄のズボンを無意識に握りしめていた。
小さな食器棚の中では食器がかちゃかちゃ音を立て、
ロウテーブルに置かれた空のペットボトルがカタンと倒れた。


比較的長く続いた揺れがおさまると、
猪里は自分が何を掴んでいるのか気付き、慌てて離した。
強く握っていた所為で皺になったのを見て取ると、
「あ、ごめん」と言って皺を伸ばすように擦った。

暖かな手の感触に妙な気分になって、猪里を見ると、
小さな地震如きにブルって友人に縋った自分が恥ずかしいのか、
顔を赤くして俯いた。

---猪里可愛いよNa……
そんな風に思ってしまった自分に驚き、
虎鉄は自分の内に突如沸き上がった感情を打ち消そうとした。

---落ち着け、オレ!猪里は男Da!

けれども、「俺、地震ダメなんばい……」
と恥ずかしそうに見上げてこられると
もう目が離せなかった。

その薄赤く染まった頬や、怯えの色が混ざった綺麗な榛色の瞳、
桜色した柔らかそうな唇に視線は縫い付けられ、心は奪われた。








「テレビ付けてみ?」
少し声が上擦る。

「うん」
リモコンで入力を切り替え、夕方のニュース番組に合わせた。
しばらくすると地震情報が流れ出した。

「震度3だってYo」
「大したこつ無いんやね……」
「これぐらいなら時々あるZe」
「ええー?、えずかぁ~」
「N?」
「怖かって言ったんばい!」
また顔を赤くする猪里に見蕩れて、
からかいの言葉も出てこなかった。

「この部屋、大きな家具って無いかRa、
 もうちょっとデカイ揺れでも、ダイジョーブだっTe」
「そやろか……」
まだちょっと不安そうな猪里と一緒に居たかったけれど、
これ以上この部屋に居るのも躊躇われて、腰を上げた。

「そろそろ帰るWa」


小さな玄関で靴を履きながら、
数時間前ここで靴を脱いだ時の感情と、今の感情が違うものだと思い知った。

「また来てEー?」
「よかよ」

来ていいんDa……と嬉しくなってしまう自分を、冷静を装う仮面の下に隠した。

「じゃあNa」
「うん、明日な」

ドアを身一つ分開けて見送ってくれる猪里に、後ろ髪を引かれる思いがした。


夕暮れの街を歩きながら考える。

中三の時の担任に、野球で有名な男子高を勧められても、
「共学じゃなきゃ受けNe」と宣い、「お前らしい」と苦笑いされた過去のある虎鉄である。
実際十二支に入ってみて、女生徒の制服も好みだし、クラスにも可愛い子はいるしで、
その点ではかなり楽しい毎日を送っていた。
だから、なんでここで猪里なのかわからない。

---気の迷いってやつKa?

そう思いたくて、でも、同時にそう思い切れない自分もいた。

---もう、わけわかんNeーーー!! 

   ……けど、きっと……明日には忘れてるZe。

そうだ、きっと、明日になれば忘れている。
揺れた直後、目が合って思わずキスしそうになったこととか。
心細そうな仕草に抱きしめたくなったこととか。


虎鉄は思い立ち、携帯を開いた。
ピッピッと慣れた手付きで操作すると、
画面には女の子の名前がびっしりと並んでいる。

---そういや、猪里って携帯持ってんのKa?

そこではたと気付く。

---なんでまた猪里なんだYo!

携帯持ってたら番号教えて貰おう、なんて思ってしまう自分に、
ただの連絡用だからNaと念押しする自分がいて、
そしてさらに、猪里からかけてきてくれたらうれしいNa、
などと思う自分が綯い交ぜになり、益々こんぐらがった。



俯いていた頭を上げ、空をキッと見据えると心の中で叫んだ。

---このオレが、男が好きなんて有り得ないんDaーーー!



嘲笑うかのような半月が夕空に浮かんでいた。


















2003.9 初出