夏休みも終わりに近づいたある日、
虎鉄と猪里は、牛尾邸の広大な敷地内にいた。
04. ありえない
---あの素晴らしいプールで今年も遊べる!
夏の花々が咲き乱れ、蝉声の響く小径を、
二人はプールに向かって嬉々として歩いていた。
「猪里Sa、去年、牛尾サンちの食いモンが楽しみで、水着持って行くの忘れかけたよNa」
「あ?まだ覚えとっとね?」
「おうYo、猪里のコトなら何でも覚えてるZe!
えーTo、数学のテスト36点だったよNa、その前は確か33点De……」
「うっさか!はよ忘れぇーそげなこつ!」
「せっかく初デートで買った海パンなのにYo……」
一年前も、虎鉄と猪里は他の部員と共に牛尾邸のプールに招かれた。
その頃と言えば、二人はまだ付き合い始める前で、
時々絡み合う視線にドギマギしたり、
柔軟体操の時、繋ぐ手の感触や触れ合う体の温もりにドキドキしたり、
親しそうに話してる相手にヤキモキしたりと、
お互いもどかしいような感情を抱いていた頃だった。
虎鉄が猪里の買い物に付き合ったのは、そんな夏のある日だった。
***
「俺、水着買わんば……虎鉄、いつでもいいけん、付いて来てくれん?」
部活終了後、二人でマックに寄った。
オレンジジュースを飲みながら、
顔を赤くして買い物に付いて来て欲しいと言う猪里に、
虎鉄の胸はぷるぷると打ち震えた。
---こ、これはデートのお誘いですKa?!
早くも、水着ならあの店に行けばいいかNa、などと考え始めている癖に、
冷静を装いながら、反復するように問い掛けた。
「水着?」
「キャプん家のプール行くやん?」
「Oh、来週Na……水着ねーNo?」
「……俺、スクール水着しか持ってないとよ」
返ってってきた答は、槍のごとく虎鉄のハートの柔らかい部分に突き刺さった。
「スクール……水着……?」
つまみ上げたフライドポテトを口に運ぶのも忘れ、
遠くを見るような目をして、虎鉄はうっとり呟いた。
「休み前、プールの授業あったやん?
水着無いけん送ってって、家に電話したとよ。
そしたら、母さんな、まちごーて、弟の水着送ってきたとよ。
それも去年のヤツたい!弟が中1の時のじぇ!
1-A猪里ってネームの縫い付けてあっとよ!そりゃ俺も1-Aばってんがくさ!」
「Hoー、そりゃ、災難だNa……
オフクロってのは、時々、魂抜けるような間違いヤラかすもんNa。」
虎鉄は半ば上の空で答えた。
ポテトの端をコーラのストローと間違え、危うく吸ってしまうところだった。
「中学ん時な、部活忙しゅーて、あんまし泳ぎぃ行ってないけんが、
俺、スクール水着しか持ってないとよ……それも、弟のやし……」
猪里がスクール水着しか持ってない事を、
ストローの包装を弄びながら、恥ずかしそうに小声で言い訳していたけれど、
虎鉄は最早聞いてなどいなかった。
---スクール水着バッチ☆コイじゃんYo!
小さくて、濡れて尻にピッタリ張り付いてYo!
その頭の中は、濃紺のスクール水着を付けた猪里のあんな姿やこんな姿でイッパイで、
あろう事か、尻に張り付く水着の裾を後ろ手にそっと引き下ろす仕草を思い浮かべ、
思わず前屈みになる有様だった。
だから言った。
というか、気がついたら叫んでいた。
「スクール水着でEーじゃん!」
「ええ?ばってん、小さいとよ?」
「余計な金使わなくていいYo!」
「んー?ばってんがくさ、ほんなこつ小さかったとよ。
買いに行く暇なかったけん、ソレ履いて授業出たばってん……」
「え?ソレで授業出たのかYo?」
虎鉄はコーラを飲みながら、ちらと猪里を窺った。
「うん……準備体操するやん?
上にぐーって伸びたら、ヘソ下ヤバイくらい出るし、
屈伸したらくさ、ケツまでちょいハミ出よるとよ……バリ恥ずかしかったと!」
「うSoッ!そんな小せぇのかYo!」
虎鉄は吊り上がり気味な目をくわっと見開き、
紙コップを叩き付けるように置いた。
ガシッ!
「ありえNeー!」
びっくりしたのは、猪里である。
そのあまりの剣幕に、椅子から飛び上がりそうになった。
「あ、ありえん……と?」
見ると、虎鉄はギリギリと歯噛みをし、
バンダナの下の眉間にはひどく皺が寄っているようで、
そんな表情に、猪里は酷く面食らった。
「…………」
そして項垂れた。
「長戸にも、コレ小さくね?って言われて……引っ張られたとよ……」
指に絡まったストローのプラ包装を見詰めながら、言った。
「Haあ?ドコを?!」
「腰のところ……」
---長戸のヤロー……!
縮こまり、しゅんと下を向いた猪里に、虎鉄は更に追い打ちをかけた。
「なにも、そんな水着で授業受けなくてもよかったのNi」
---俺、やっぱぃバリ恥ずかしかこつしてしもーたとやね……
ばってん、買いに行く暇なかったけん……
しょんなかったと……母さんが悪いとよ……!
着る物にうるさそうな虎鉄に、
それも憎からず思っている彼に、
そうなじられると、猪里は返す言葉もなかなか見つからなかった。
「……見学……しとぅなかったけん……」
「チッ、A組のヤローども、」
「え?」
続いて「すっげーウラヤマシイZe」と呟きかけた虎鉄だったが、
慌ててキャプばりの爽やか笑顔を作った。
「Ah、いYa、なんでもねーYo」
しかし、心中では、猪里と同じクラスでないことが、
悔やまれて悔やまれてならなかったので、
その笑顔は少し引き攣ってしまった。
猪里は、イライラと怒ったりニヤけたりな、そんな百面相を訝しく思うものの、
とりあえず、もう一度、
OKなのかどうなのか、聞いてみようと思った。
出来れば、地元の店に詳しそうな虎鉄に、
友達の筈なのに気になっている彼に、付いて来て欲しかったのだ。
けれど、買い物に託つけて誘ったりする自分が、ちょっぴり恥ずかしくて、
自ずと声も小さくなった。
「虎鉄忙しか?やっぱぃだめと?」
おずおずと小首を傾げて聞く猪里は、可愛かった。
虎鉄にしてみれば、獰猛な虎よろしくテーブルを飛び越え、
白い喉元にむしゃぶり付きたいくらいだった。
---カワイ過ぎるだRo?!コレ!もータマンNeー!
虎鉄はピッチピチのスクール水着にちょっぴり心残りはあった。
いや、かなりあったのだが、マッハで思い直した。
---猪里と買い物デートだZe!ひゃっHoー!
心の中でガッツリ拳を固めた。
「忙しくなんかねーYo!いつ行く?」
満面の笑みを浮かべ、答えた。
猪里もまた、嬉しそうに微笑んだ。
そして、その週末、
部活が休みとなった日に、二人で陽光煌めく夏の街に出た。