正月二日目。
今日はもう埼玉に帰らなければならない。








アルバム







猪里のお母さんに洗濯してもらった衣類を整理しながら、
何げに本棚を見るとそれがあった。
「これ、アルバムKa?」
「うん、その青かのが俺んばい」
「見てEー?」
「よかよ」
腹ばいになり肘で体を支えた格好で表紙を捲った。
猪里も隣に座って一緒に見る。
南から差し込む日が背中に暖かい。

アルバムの中には小さな猪里が沢山いた。
離乳食を掬ったスプーンを物欲しそうに見詰める赤ん坊の猪里は、
なんだか今の彼を彷彿とさせて笑えた。
少し大きくなると兄弟で写っている写真が多くなり、
三人並んで縁側でスイカを食べていたり、
裸で行水したり、お祖父さんに空手の型を付けて貰ったり、
賑やかな声が聞こえてきそうだった。
もう少し大きくなると、サッカーと野球の練習や試合の合間に撮られたものが多くなった。
ページを捲る度、「カワEー」を連発してしまい、
「他に言いようの無かとね」と呆れられた。
一枚の写真が挟んであった。
「あ、これこげなとこに……」
日付から察するに、猪里は生後4ヶ月ぐらいだ。
木陰でお母さんが赤ん坊の猪里を抱き、隣にはお父さんが写っている。
二人とも若く、お父さんは今より少し痩せていて髪も長めだ。
猪里が泣き出しそうな顔をしているので、お母さんは伏し目であやすような表情をしている。
お父さんの視線はカメラでも赤ん坊でも無く、お母さんに向けられていた。
それもうっとりとした表情で。
「お父さん、惚れちゃってんNa」
「そうなんばい」と猪里は二人の馴れ初めを話してくれた。


猪里のお母さんは短大を卒業する時イタリアに旅行した。仲の良い友達と一緒だった。
どこかの観光地でお母さんを見初めたお父さんは、ぶっちゃけお母さんをナンパした。
母の国から来た女性に一目で惹かれ、言葉も解らないのに話したくて付きまとったらしい。
お母さんは旅行中ではあるし、適当にあしらっていたのだが、
お父さんは本気だった。なんとか住所を聞きだし、
お母さんが福岡に帰ってからは、殆ど毎週手紙を書いて寄越した。
逢えなければ想いは日に日に募るもので、とうとうこの家を探し出してやって来た。
お母さんもだが、お祖父さんとお祖母さんは腰を抜かす程驚いたらしい。
困るので帰ってほしいと頼んでも、「結婚して欲しい」と譲らない。
お母さんは四人姉妹の三女で上の二人が嫁いでしまったので、
養子縁組みして農業を営む家を継ぐことになっていた。
お父さんの実母に国際電話で通訳して貰いながら、
そう話すと「養子に入る」と言うではないか。
だんだんとこの明るくて物怖じしない一途なイタリア人(国籍は)のペースに巻き込まれ、
気が付いたら結婚していた……という。(コメディ映画みたいDa)
仕事の方はお祖父さんが付きっきりで教え込んだ。結構覚えは早かった。
町の寄合にも一緒に参加して、日本語も少しづつ覚えた。(博多弁だけDo)
はじめおっかなびっくり遠巻きに眺めていた町の人達ともすぐに打ち解けた。
よく働くし、三人の子供にも恵まれ、何より妻を大事にする。
今では結果よければ全て良しということらしい。

「なあ、お父さん、なんて名前なんDa?」
「お前笑うけん、言わん」
「笑わないっTe!」
食い下がると消え入りそうな声が返ってきた。

「……マリオって言うばい」


それのどこが可笑しいんDaと少し困惑して猪里を見た。

「ルイージゆう弟はおらんげな」



「…………」

「笑わんの?」

辛抱堪らなくなって、ヘッドスライディングするように猪里の腰に飛びついた。

「わ、何ばしょっとねー」
「猪里はカワEーなっ、もうたまんNe」

胡座をかいて座っている猪里の腰をぎゅっと抱きしめる。

「ちょっ、離せっ」
「ひょっとして 、ガキの頃それでなんか言われてTa?」
「もう、いやんなるくらいな」

亀を踏んづけて投げたり、何故かキノコでパワーアップしたりするあのゲームで遊んだこともあるが、
猪里にはイヤな思い出だらけらしい。

猪里の膝枕で幸せな気分で続きを聞いた。
お父さんは町の男衆からはマリちゃんと親しみを込めて呼ばれていた。
結婚するなり立て続けに三人の男の子を産ませたと、
彼らから「イタリアの種馬」と囃されたこともあったらしい。
「名誉なんか、不名誉なんかようわからん言われ様たい」
「そりゃ、名誉だRo」
「そやろか」


---そうか、巡り合わせなんだ……猪里とこうしていられるのは。


「虎鉄?」
「N?」
「何考えとぅと?」
「お父さんがお母さんを追っかけて日本に来たから、猪里が生まれたんだNaと思ってSa」
「そうゆうこったい」
「もし、お父さんが反対されて諦めてたRa……って思っちまっTe」
「滞在費も底付いて、一度は諦めて帰ろうしたげなばってん、
 空港でお土産見とったら、博多人形のあってな、
 母さん思い出して、今帰ったらいかん思うて引き返した、言うとった」


「引き返してくれてよかっTa」

少し声が震えてしまった。
視界がぼやけた。

「虎鉄、俺は……おるやろ?」

猪里は指でそっと目尻を拭ってくれた。

「お前変ばい?俺が野球選んでよかったとか言いよるし、なしてそげに気弱になっとぅと?」

「……何でかNa……どこかで何かが狂ってたら、オレは猪里に会えなかったんDaと思うとSa……」

「やけん、俺はおるて言っとぅやろ。
 生まれて、野球して、埼玉行って、お前に会って……」

一気に捲し立て、最後猪里は言い淀んだ。


「そんで……」

「N?」

「お前んこつ……好いとーやろ?」


顔を腹に押しつけて腰に廻した腕に力を込める。


「……猪里ぃ」


猪里はバンダナ越しに頭を撫でてくれた。

「愛してRu」とか「好きDa」と告げるのは何時も自分だった。
言えば、「わかっとう」と言いたげな目をして少し微笑む位だった。
猪里の方から言ってくれたことなど無かったのだ。


見上げると猪里の優しい瞳が見下ろしている。
出会った頃「カラコン入れてんのKa?」って聞いたら「ううん」と頭を振った。
綺麗な榛色の瞳。猪里のお父さんと同じ色の。


「愛してRu」

「……ん」

猪里の首に手を掛け引き寄せる。
その瞳に吸い込まれるように、口付けた。

「猪里」

唇の温もりを確かに感じて、愛しい人の名を呼んだ。

キスなんか、慣れて熟達の域だと自負してた。
どうしてか、この心臓は有り得ないぐらい早鐘を打っている。
キスを激しいものに変えたくて、体を起こしながら求める。
掻き抱き、腰から背中を弄ると、体温を感じて熱くなっていく。

けれど、猪里は唇を外すように頭を振り動かし言った。
「もう、下りよう?」
「やDa、キスさせTe」
「飛行機の時間っちゃよ?」
「猪里が好きって言ってくれたの初めてJan、オレもう止まんねーYo」
座ったままの体を抱き締めて、どうにかして欲しくて。
「……帰ってから、な?」
「今日?」
「ん」
「やっTa、直行Na!」
「好きにしぃ」



「♪~~~~」
「あの涙はなんね?現金なヤツ」
誹りを後目に口笛混じりに帰る準備にいそしんだ。



でも、あの時は本当に不安で堪らなかった。
温かな膝が、初めから無かったものとして、
忽然と消えて無くなってしまうんじゃないかと。











(’04.1.2 初出)